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原子爆弾

昭和天皇および軍部は戦争の終結に向けて遅れたのは1回目では懲りず、まさか2回目は無いと思ったからですか?

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  • mimazoku_2
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回答No.3

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  • eroero4649
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回答No.2

「昭和のいちばん長い日」という映画を見ていただければ、だいたい分かると思います。 軍部や政府としては、今まで国民に「戦争に勝つために我慢をしてくれ」と散々我慢と協力をさせたのに、ここにきて「すまん。戦争に勝てんかった」では説明がつかないのでなかなか踏み切れなかったというのはあります。 これは今のコロナ対策においてもそうですね。政府と厚生省のコロナ対策って、方向性としては間違っていました。でもここにきて「やっぱり間違ってました」って認めちゃったら国民に説明がつかなくなるじゃないですか。我々としても「今まで散々自粛とかに協力させておいて、今さら今までのはナシねってのはないだろう」と怒りますよね。 で、じゃあ終戦(降伏)の勅令を出すとしても、その文言をどうするかで陸軍と海軍から色々注文がつくわけです。陸軍や海軍とすれば将兵が何百万人と死んでるし、その遺族もいるからそちらに対する配慮もしないといけないわけですね。 そうこうして揉めているうちに原爆が落ちてしまったということなのです。 今ではあまり顧みられることはないのですが、当時「8月末もしくは9月頭に新潟に第三の原爆が落ちる」という噂がまことしやかに囁かれていました。アメリカにその計画があったのか、今となっては分かりません。当時の新潟県知事だったか新潟市長だったかが政府に市民の集団疎開を求め、軍部が「そんなことがアメリカにバレたら・・・」と認めないことに対して「市民を見殺しにするのか」と怒ったという記録が残っていたそうですよ。 そして「次に原爆が落ちるのは新潟説」は天皇の耳にも届いていたようで、天皇が「次にまた原爆が落とされたらどうするんだ」と早く終戦を進めるように叱責したという記録も残っています。

  • gunsin
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回答No.1

いいえ、違いますよ。 石油が無くなり、軍艦も飛行機も動かせなくなり、農家の働き手を、 兵隊にしたので食料の生産量が減り、「大和魂」だけでは戦争を継続する事は、出来ないのは、解っていました。 戦争を主導して来た大本営の高級幹部の中から「止めよう」と 声を挙げる人がいなかったのです。 ずるずると結論を出せないないでいる内、長崎に落とされたのです。 そして、昭和天皇に裁可をお願いしたのです。 8月15日に玉音放送されることに成りましたが、録音されたレコード 盤を奪って、放送中止しようと反乱が起きました。 大元帥の陛下の命令は絶対服従なのに、無視したのです、こんな 狂った大本営が戦争を主導したので、320万人もの犠牲者が・・・ 大本営の悪あがきは、まだ続きます、敗戦でなく終戦とした事です、 敗戦となれば、その責任を問われますが、終戦の言葉に置き換えれば 責任の追及から逃れるのです。 戦争裁判として、多くの人が裁かれたのではないのと思いでしょうが あれは、GHQが行った事で、日本の裁判では無いのです、日本の 裁判は開かれなかったので、戦争責任を逃れ、悠々自適の生活を送った、大本営の高級幹部が数多居ます、大本営発表をそのまま流した マスコミは何らかの反省文を社説に掲げ、再出発をしなければ、 ならないのに、その様な動きをした、新聞社は一社も有りません。 「終戦」と言う、言葉の、マジックなのです。