浄土真宗について
どんな宗教かはさておき親族等が亡くなった時お経をあげにお寺さんがきます
これが50年もの間毎月来るらしくそのたびにお布施車代等納めなければいけません
経済的に苦しい家庭でもこれはやるべきでしょうか?
はっきりいって私はこの宗教そのものは否定しませんが世の中の宗教すべてを信用してません
人間死んだら終わりでその後何処へも行かないと思います
正直49日すら今は信用してません
仮に罰があたってもそれは偶然でおこるべきしておこったと思うしたくさんのお金を積んでやれお寺さんや仏様にいろんな振る舞いをして仮に何かいいことがあったとしてもそれも偶然だと思います
運命という言葉すら信じてません
この考えはおかしいですか?
その理由を教えてください
お寺さんが参りにきた際交通費やそれ相当のものはしはらいますがせいぜい3000円が限度だと思います
人間誰かを失うとかなしいです ワラをもすがりたいです
精神的にもまいってます
結局この悲しい現実を受け止められず何かに頼って楽になりたいという思い込みからこういうのが広まったのではないでしょうか?
1日1時間でも日々神や仏にまいったらその間は犯罪や悪いことはだれもしません
平和です
だからこういうのが代々伝わっていくのだろうなって思ってます
決して否定はしません いいことだと思います
お経なんかむずかしいし坊さん呼ぶとお金かかるし自分ではお経は読めません しかし自分の言葉でもその方が神や仏ならきっとすべての言語やココロザシを理解できると思います ぼんさんも子孫繁栄を繰り返し程度が低くなってきたと思います
長くなりましたが人間死んだら終わり 死後あれこれするのは生前してやれなかったことを悔いに思い遺族があれこれしてつみ滅ぼしをしてるような気がします おまけにそこに坊さんがきてお布施を求め 少ないと来ないなんて話も聞きます 私がぼんさんなら何ももとめずただただお経をあげます 何の差別もなしに・・・
いずれこういう習慣は一度減少すると思うしなくなりかけると思います
故人にはなんの恨みもなく感謝感謝でいっぱいです
ただそこに現れたぼんさんはお布施の相場やなんだかんだでいったいいくらほしいのか? 少ないとこないのか?多いと故人はいったいどうなるんだ?見せてほしい物です やるなら全財産すててでもやりたいしやらないなら全くやりたくない 中途半端にやっていったい故人はどうなるんでしょうか? 今は坊主丸儲けって気分で嫌でしょうがないです
浄土真宗だってもともと1つだったのに複数に枝分かれしやがって権力争いしやがってみんな人間は欲の塊に見えてきます
いったい何を信じればいいんでしょうか?
お礼
回答ありがとう御座いました。