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授業において子供をより発展させるには何が必要か?

私は大学で教職の免許を取るために教育関係の授業をとっています。 授業関係の講義を受けているときに、 『授業において子供をより発展させるには何が必要か?』 とふと思いました。 みなさんはどう思われますか?ぜひ教えてください。 ※レポートの課題とかではなく個人的な疑問でみなさんの意見を聞きたいと思いました。念のため。

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  • takikun70
  • ベストアンサー率59% (95/160)
回答No.2

すべてにあてはまるかどうかわかりませんが,認知的葛藤・認識的葛藤と呼ばれるものを授業に組み込むことだと思います。 「えっ,なんで?」「むむ・・?」など,自分自身の既有の知識・考え方の枠組みでは,当てはめて考えたり推量しきれないときの状態が,認知的葛藤・認識的葛藤ですが,それが解決するプロセスこそが大事ではないかと思います。 トリビアの「へぇ~」も知ってそうで知らない事柄を話題にすることで,認知的葛藤・認識的葛藤が生じ,回答・解説VTRを見ることで,それが解決して「へぇ~」となります。 しかしながら,授業という流れで考えたときには,その認知的葛藤・認識的葛藤のタイミングとか,配列(流れ)が大事でしょうね。 単に「へぇ~」と言わせる授業であれば,トリビア的でクイズ的な内容となり,体系的ではないからです。 ある事柄について体系的に学ぶ(概念を獲得する)には,授業者(=教師)が,その配列(授業の流れ)をうまく組み立てる必要があると思います。 科学教育の分野では,「仮説実験授業」が成功している例だと思います。

その他の回答 (5)

回答No.6

「子供が発展する」の意味をつぎの文脈のなかに 明らかにして、それがどんな意味か確かめたいと 考えます。 学習・教育は、教育運営のシステムの営みであって、 そこには、何がしかの目的、目標があります。 ここで目的、目標は、それがかなえられたかどうか を何か私たち関係者に認知できる、明確なねらいで ある必要があると考えます。 日本語で「目的」と表現したときその実に少なくとも 3つあります。[1] 1)ゴール:到達目標 2)Objectives:具体目標 3)Aim: 標的 教育のシステムにおいて、これら3つは、卒業までの 教育目標、年間学習計画、および単元指導案のめあて といった具合に階層をなして、私たち教育従事者が ことばにして認知するしないにかかわらず運営の なかに具現化されます。 ところが、教育を壮大なプロジェクトと見立てるならば そこに利害関係者が存在します。 保護者、卒業後に児童・生徒・学生らを受け入れる次に 続く組織(教育機関、企業ほか)、地域社会、。。。 この取り巻く社会環境をも視野に入れるとき、 私たちは、つぎの目的を無視できません。 社会が持つ教育目的>全般学校教育目標>自校教育目標 >課程教育目標>単元学習目標>授業分節目標> 授業内課題のめあて [3] さて、授業で学んだことにより、 児童・生徒・学生が、つぎのどれを達成することを 意味するかに応じて、具体的に私たちが、 ・どの状況で ・いかなる道具を用い ・児童・生徒・学生が、学習など作業 行為することにより、能力を発揮できるように なったと判断して ・目的・目標[2] を達成するように するかはバラエティに富みます。 1)授業分節を通過してつぎの時間に移ったとき どれだけ学習をするすべを身に付け、その後の 学習を効率よくできるようになるか 2)課程目標を達成し、より高度の課程に進む 基礎を築いたか 3)自校の思い描いた人間像による行動ができる ようになったか [1] Borich G.D., Effective Teaching Methods 4th Edition, Merrill Prentice Hall, 2000 [2] Gagne etal, Principles of Instructional Design 4th Edition, Wadsworth, 1992  [3] RomiszowskiA J, Designing INSTRUCTIONAL SYSTEMS, COGAN PAGE, 1988

  • 0913
  • ベストアンサー率24% (738/3034)
回答No.5

体験に基づく学習も重要ではないでしょうか。

  • naokoyo
  • ベストアンサー率12% (1/8)
回答No.4

私の経験から回答させていただきますが、重要なものとして「教室の雰囲気」というのがあると思います。 小学生を教えるのか高校生を教えるのか、によっても違ってきますが日本の学校、教室の独特の雰囲気として誰かが発言すると「すご~い。。。」と遠い目で見られるのがありますよね。 「出る杭は打たれる」ではありませんが一個人として意見を挙げたり授業に貢献したりするということが非常に難しいです。 教育制度の問題が叫ばれていますが、個人的な意見では制度の問題ではなく、日本人特有の雰囲気ではないかと。 自画自賛ではありませんが、この雰囲気に違和感を覚える生徒はとても伸びると思います。 これは生徒がどうしようと思ってどうにか出来るものではありませんので先生の力量に掛かってくると思っています。 学生でなくなっても大人の世界にもこの雰囲気あるようです。 けれどもこれを教室の中に持ち込んでしまったら、生徒同士の授業での繋がり、存在意義はありません。 通信教育や塾で十分です。 学校ではいつものびのびと学んでもらいたいと思いますね。 学校というのはとてもいい時間だと思います。 塾や通信教育とは違います。 大勢で学び何かすることによって何かしら得ることがあります。

回答No.3

「授業において子供を、、、」という命題なんですけど、なんだか漠然としていてよくわかんないんですねぇ。 発展、、というのは、ずいぶん広い範囲にわたりますよね。 まあ、私個人として考えるのに、 その授業が子供たち一人一人に良い刺激を与えるということかなあ。 まあ、これも漠然としてますね。 ただ、テキストにあることを理解させておしまい、じゃなくて、知的好奇心を満足させてくれるものだったり、その内容について深く考えさせるようなものだったら、子供の中にある能力なり、心の発達に貢献するものだと思うんです。 そんな授業があったら、楽しい。予備校の先生方て案外面白い授業したりするのかなあ、なんて気がします。 家に帰っても授業で与えられたテーマについて考えたりするようなそんな印象深い授業なら価値ある授業と言えますよね。

  • bunbun04
  • ベストアンサー率13% (77/585)
回答No.1

『探求心』『知る喜び』『知識は力なり』を教えることかな? 知識は人生を豊かにする事を教えてあげて欲しいですね。