分家とは、本家と呼ばれる家から分かれて設立された一家のことです。
織田信長には信忠(長男)、信雄(次男)、信孝(三男)という3人の息子がいました。史実では信雄・信孝の二人は他家の養子になっていますので厳密にいうと「織田家の分家」ではありませんが、あとで織田姓に戻っているようなので養子に行かなかったとすると、信雄・信孝の二人がそれぞれ立てた家が織田家の「分家」になります。
その分家の家系・子孫が「分家筋」です。昨今、争族が増えているように、分家からまた分家が出てという感じでねずみ算式にどんどん数が増えていきます。すると、武将直系(嫡流)という希少価値がどんどん薄まった感じになっていくわけです。
戦国時代には、加賀前田家のように、本家が没落して分家が栄える(前田家の没落本家は分家の当主である前田利家の家臣になった)ということもあったのですが、江戸時代になると分家に出ることもできず兄の無給の家臣(飼い殺し)の如く扱われることも多くなり、分家できても本家と分家はっきり区別され、本家は分家の婚姻にまで口出ししていました。
逆に言えば、分家筋は本家筋の口だしに従わなければならなかったわけです。
本家の奥様には他の大名や貴族の娘が嫁いできましたが、分家はそんなことを気にしないでテキトーな娘が嫁入りしてきました。
なので、お母様はそうやって数が増えた状況や、家臣のように本家の命令に従ってきた歴史を恥じられたのでしょう。しかし、恥じることなんてありませんでした。
血筋的には、質問者さんな立派にその某武将の子孫です。血が薄まっているのは本家(嫡流)も同じです。ということで質問者さんがその武将の名に恥じない人生を送られることを期待します。
お礼
ご回答ありがとうございます。 よく分かりました!