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日本全国、同じ苗字の人が沢山居る訳は?
佐藤や田中、山本や中村などそういう苗字の人ってどの苗字が一番多いかは違うとしても大抵、どこの都道府県にもいるのは何でなんでしょうか? うちも田中にしよう、うちも山本にしようって思ってみんな付けたのですか? 当たり前の様にみんな持ってる苗字ですが、イマイチそこが分からないんです。 佐藤は藤原の末裔だとか、この苗字は○○天皇の末裔だとかって色んなサイトにありますが、それって単純にその苗字の由来というだけでそれを使ってる人が末裔かどうかはまた話が違うと自分は思っています。末裔なら数多過ぎでしょう。
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- eroero4649
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日本人が全員名字を持つようになったのは明治時代になってからです。名字が必要になった理由があって、それが徴兵制度だったのです。 鉄道が普及する以前の社会においては、世界中どこでも一般庶民は自分が生まれた場所から半径15キロ以上のところに行くことは滅多になかったそうです。徒歩で日帰りで行ける場所はだいたい半径15キロくらいだからです。多くの人々にとって自分の村から半径15キロ圏内がほぼ世界の全てだったのです。 だからそういう社会では、同じ村の中で名前がかぶらなければ個人を識別することは簡単でした。仮に他の村に同じ名前の人がいても「凸凹村の誰々」で済んだからです。 しかし徴兵となると全国から人間が集まってきますから、個人の識別が困難になります。なので個人を識別するために名字を全ての国民に与えたのです。 とはいっても急に「名字をつけろ」といっても当時は文字も読めない人も珍しくなかったですからそういわれても思いつかない。だから学識があったお坊さんにお願いしに行くわけですが、お坊さんとてそういくつもオリジナルの名前を思い浮かばないですから、あちこちで名字がかぶってしまうというのはありますよね。 まだ身分社会の空気も残っていますから、偉そうな名字にするのは遠慮があるというのもあったと思います。 また日本人の名字は昔から地名に由来するものが多いという特徴があります。寒河江を拠点にしているから寒河江氏、みたいなものです。田中だの中村だのも地名由来ですよね。 それに比べると英語圏だと職業に由来するものが多いというのがありますね。スミス(鍛冶屋)とかカーペンター(大工)とかね。あとは「誰々の息子」というのも多いですね。ジョンソンとか。 そんな感じで、民族によって特徴がありますね。
末裔が多すぎるのは当然です。誰でも30年前には2人の先祖があるでしょう。60年前は4人、90年前は16人です。子孫はいるかどうか分かりませんが先祖は必ずあります。300年前は1024人、600年前は100万人、700年前なら当時の日本の人口を越えてしまいます。つまり仮に日本人が近親結婚が無いように計画的に婚姻していたなら、700年前にさかのぼれば全員が姻戚です。天皇の子孫がどれだけ多くても驚くにあたりません。 佐藤氏は左衛門之介の藤原氏で平将門を滅ぼした藤原秀郷の子孫ですが、この場合は武家としてたまたま繁栄したという特殊事情で増えました。有力な武士の家には雇用能力があり、親戚でもお気に入りでも同じ性を名乗らせて幹部として養うことが出来ます。鹿児島の私の同級生には佐藤姓は同学年の一人しか知りませんが、東北に行くと30人に一人という勢いで佐藤さんが出てきます。大名の姓など特に、同姓の一族を養い、国替えで転居したり地元に残ったりして各地に散りました。その反対に、稼ぎの悪い武士の家では養子にでも出なければ食えないのですから、自然とその姓は減りました。 大久保氏は地形に由来し、大きいクボが日本中にあったので当然の成り行きとして分散して出来ました。中央線の大久保駅も大久保彦左衛門と無関係で地形からできた地名だそうです。 明治時代に平民に姓が付いた時は、集落の伝説に従って、我らの先祖は藤原氏だったらしいと藤原を名乗ったり(江戸時代は貴族にも武士にも藤原と名乗る家は有りませんでした。藤原氏の本家は近衛氏です)、めんどうなことを考えずに集落で同じ姓をつけたので、ありそうな姓が多量に発生するということもおきました。
全国に拡散した成功した名字の影には 潰えていったマイナー名字が数多あると思います。 成功例だけみてなんでだろう、と言ってる部分はあるかと。 あと、起源が別でも発想が同じということも有るでしょう。 田んぼの中に一軒家が有るから田中、 良い案簿に慣ればいいな~と思って吉田、 山の下の一軒家に住んでるから山下とか。 あとはすでにある由緒正しいところの真似。 藤原とかそんなの多いと聞いたことあります。 韓国にキムさんが20%もいるのはそれですね。 法律で明日から名字つけろーと言われたら真似っ子体質の 日本人はいい所から真似る事も多かったでしょう。