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17世紀辺り男性でもレースを身に纏ってたのに
17世紀のフランスとかでは、おしゃれなのかよくわかんないけど王族貴族の間で、フリルやレースを男性も身にまとってた時期ってありますよね?あれ、いつから女性だけのものになったんでしょうか? 何か理由があって、フリルやレースを身にまとわなくなったんでしょうか?戦争が理由ってんなら、つじつまが会いません。 そもそも、レースを身に纏いながら戦争してたわけですよね?
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17世紀絵画のレンブラントの夜警などにはレースを纏った男性が描かれています。レースは非常に高価なもので富と権力の象徴でした。 現在の礼服の源流は軍服にあるので戦争が理由ってのも間違ってはいません。 何でスーツにあんな形の襟がついているかと言えば軍服であるコートの名残だからです。つまり服の表面にヒラヒラした装飾をあしらうのは好まれません。そのため礼服本体からフリル装飾は省かれました。 18世紀になると段々とレースは衰退していきます。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%81%AE%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%82%B9#20%E4%B8%96%E7%B4%80%E4%BB%A5%E9%99%8D 1789年からのフランス革命の大動乱の前より、レースは流行から外れていた。ペティコート、キャミソール、パンタロンなどの下着にレースが使われたが、人目に触れないことであまり手を掛ける必要がなくなった。共和制の成立後、細々とレースを作成していたレース産地では、レース生産を再開したが、連続模様の幅の狭いものがほとんどであった[5]。 そのような中、1792年2月、フランス革命政府の商務兼内務大臣サン=ジュストは、レース生産を再開したいアランソン市議会に、助成金の交付を承認した。ナポレオンは、コルベールと同様に商業的理由と国家的な威信を高めるためにも、贅沢産業を奨励し、新しい帝室儀典書では宮廷の公式レセプションには、男女共にレースの着用が義務付けられた。ナポレオン自身も1804年の戴冠式でブーヴリ社に注文した、アランソンのシャボを身に付けた。しかし、帝室議典書でレースの着用を義務付けても、男性はどうしても着用しなければならないとき以外はレースをつけなかった。当時の男子服は地味な色のウールのラシャになり、デリケートな色の刺繍が施されていた。19世紀のファッションにおける男性の役割は、女性と競い合うことではなく、女性を引き立てることであった。レースはこの時以来、男子服から消滅した[5]。 今では男性の正装の基準が礼服+カフスのあるワイシャツ+ネクタイという形になっているのでレース装飾ほとんど見られませんね。
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ありがとうございます