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私の苦悩と葛藤:劣等感と諦めの間で
- 私は劣等感と諦めの狭間で悩んでいます。失敗経験や後悔をうまく消化できず、環境や努力不足によって劣等感を抱くことが多いです。
- 特に祖父と曾祖父の存在が大きく影響しています。彼らの成功や偉業に圧倒されつつも、その期待に応えることができずに絶望感を抱いています。
- 自己暗示や頑張る意志を持ち続けてきましたが、失敗の連続や他人との比較によって自信を失っていきました。その結果、自分自身の無力感や諦めたい気持ちと戦いながら生きることが苦しいです。
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私は発達障害もってて10代の頃心病んでて、父親は二回刑務所に行って大検取ったけど大学行くお金も無ければ、学歴も偏差値35のヤンキー高中退して友人もおらず中卒のままだったのですが 今は為替でお金を稼ぎながら自分で英語学んで海外の通信制の大学で学んでいます。 頭が良いかどうかなんてあんなテストじゃ分かりませんよ そもそも世間一般で言う頭が良い悪いとかそういう話自体がおかしいしそれ自体が一種の思い込み見たいなものですね あんなもの状況と環境にと人によって全く異なります 負けず嫌いで嫉妬深いってとても良いと思います それだけ物事にエネルギー向けられるって事ですから そんな事分かってるけどそんな醜い自分が嫌だと思うかもしれませんが、醜くない人なんていませんよみんな自分を偽って他人を騙してるしその事に気づいてない人だっています それに比べたらその事に向き合って努力できるって素晴らしいと思いますよ ただそれ以上に良いとか悪いとかでなく良いところも悪いところも 自分なんだって受け入れてしまう事が大事だと思います イエスキリストでも全員に好かれる事はできないし、 アインシュタインでも物理以外は全くできないし完璧な人なんていませんよ 才能を発揮できる環境に身を置いて挑戦しつづけたそれだけです 私はあなたの話が本当かどうかもわからないが、 社会的な見栄えなんてくだらないです あなたは他人の人生を生きたいのですか それとも自分自身の為に人生歩みたいのでしょうか? 祖父の期待に応えたいというのは素晴らしいです、でも本当に祖父があなたの事を思っているならあなた自身幸せになることが祖父にとっては一番嬉しい事だと思います もしそうでなくて社会的な見栄えだけを気にしてるなら そんな物は豚に真珠を与えるレベルでくだらないです 人生は不公平な事ばなりだし厳しいです がむしゃらに努力しても結果は出ません 私が成長できたのは自分を受け入れた上でそこからどうするか考えたからでした 失敗も苦渋も沢山味わって来ました 一見成功してるように見える人も裏ではそうかもしれないし あるいはこれからそうなるかもしれません 私は25ですがあなたはまだ20です私もあなたもなんとでもなります 悪い所がないあるいは良いところが無い人間なんていませんよ そういう風に見えるだけです 方向性を変えるのは大変かもしれませんが全力でやってできないなって思ったら、どんどん新しい事挑戦していくほうが良いと思います 私はそうして来ました同じ事やるにしても一つの方法や視点だけでなく色々試す 現に私は学校で習うような英語は1mmも分かりません、学校でやるような文法も殆ど分かりませんがコミュニケーションは取れますし読み書きもできます。 人の価値なんて一生誰にも分かりません、理解しやすいように ある一定の基準に照らし合わせてそういう物だと思いこんでるだけです。 受験で偏差値がどうこうとかもこの国では常識ですが とてもくだらない文化だと思いますよ それにこの国自体が完璧主義で劣等感感じやすいと思います 人間関係だって面倒ですよね、場の空気や相手の顔伺ったり 何か我慢しないと保てないような人間関係なら別に必要ないんじゃないんでしょうか たとえそうでなくて大事な人だったとしても現状を受け入れて 新しい出会いを求めるしかない、辛いという気持ちは理解できるし どういう人間でどういう関係だったのかはわからないですが 一生ずっとに居る人間なんて夫婦くらいなもんですよ あなたは何事に対しても否定も肯定もしなくていい あなた自身の道を行けばそれでいい もし死にたいと思うならその前に自分の好きなように生きてみてはどうでしょうか?