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【宗教】「神社の2礼2拍手の作法も、明治に決まった
【宗教】「神社の2礼2拍手の作法も、明治に決まったのです」 明治時代以前はどうしていたのですか?適当に礼と拍手をしていたのですか? そもそもいつからなんのために礼と拍手をするようになったのでしょう?
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> 「神社の2礼2拍手の作法も、明治に決まった 厳密には「礼」ではなく「拝」で、「2拝2拍手1拝」ですが、明治でしたっけ? 礼と拝では、腰というか、お辞儀のときの「上体を曲げる角度」が異なります。深々と、90度近くまで曲げて深くお辞儀をするのが「拝」です。 もっと軽いのが礼、さらに軽いのは「揖(会釈)」です。 と言っても「拝」なんて言っても誰も知らないから、「礼」でいいとある神社の神主が言っていましたけど。 > 明治時代以前はどうしていたのですか? 神社それぞれで決まっていたはずです。でも、大半は「2拝2拍手1拝」だったのでしょうね。下記の通り、統一したのであって、礼拝方法を創造したのではないらしいので。 なにかで、「神社本庁が『統一した』」と言うのを聞いた覚えがあるので、バラバラだった拝礼法を統一したのだろう、神社本庁なら統一したのは戦後かなぁと思っていましたが。 今でも、私の地元新潟県の弥彦神社や出雲大社では「2拝4拍手1拝」です。弥彦神社はわかりませんが、出雲大社は「2礼2拍手1礼」を拒否した、という話でした。 4拍手の趣旨は、「和魂」「荒魂」「奇魂」「幸魂」の4神霊に対してそれぞれ拍手を打つべきだということだそうです。 > そもそもいつからなんのために礼と拍手をするようになったのでしょう? 勝手な想像ですが、魏志倭人伝に「倭人は道で貴人に出逢うと土下座するか拍手して敬意を表する」というような趣旨が書いてあったので、その名残りなのではないか、神様ほどの貴種はないわけですから。
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- oska2
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>明治時代以前はどうしていたのですか?適当に礼と拍手をしていたのですか? 明治維新までは、各神社がそれぞれ独立して参拝手順を決めていました。 不思議な事に、同じ「応神天皇(八幡様)」を祀っている〇〇八幡神社でも地域によって異なっていました。 これは、神道だけではありません。 仏教でも、宗派が同じでも宗教行事・仏壇飾りが地域によって異なりますよね。 神道も宗教も「地域の地元密着の神さま・仏様」だったのです。 明治維新後、天皇中心国家を建設する為に「アマテラス神の子孫である天皇の神聖化」が協力に推し進められます。 国家神道を管轄する「神祇院」を設けて、全国各地の神社の支配を行ったのです。 日本には八百万の神がいますが、アマテラス神を頂点にする。 他の神々は、アマテラス神の支配下にあるんだ! この時に、バラバラだった参拝方法が決まったのです。 同時に、各家庭の神棚の祀り方も決まったのですね。 ※(向かって)左側に信じる神様。中央に(伊勢)神宮。右側に地元氏神。 戦後、政治と宗教の分離が行われ「国家神道の廃止+神祇院の廃止」がGHQ命令で行われます。 ※創価学会政治部が、未だ政教分離でグレーゾーンですがね。 神祇院は、文部省(現文科省)管轄のいち民間団体になって現在に至ります。 ※現在、全国各地の神社が神社庁脱退をしています。 ※最近では、香川県の金刀比羅宮(こんぴらさん)が脱退。 >そもそもいつからなんのために礼と拍手をするようになったのでしょう? 先ず、拝礼の対象としての「礼」です。 頭を下げる事で、拝礼対象を敬っている事を証明する。 拍手(柏手)は、魂振(たまふり)とも言って「神様に、参拝にきた事を伝える」のです。 余談ですが・・・。 参拝時の拝礼・拍手は、魏志倭人伝にも記述があります。 当時は、生きている目上の者に対しても行っていた様です。
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