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日本の宗教(仏教や神道)は明治以降から異なる!?
日本の宗教(仏教や神道)は明治以降から異なる!? 今の日本の宗教は江戸時代までの宗教と異なるとネットで知りましたが本当なのでしょうか・・・。 それに、江戸時代までの宗教観は明治以降、破壊されているので、江戸時代までの宗教を知ることについても、本当の所、GHQ(WGIP)のおかげで知ることは出来ないからと仕方ないらしいんです。 他国の仏教とは違うし、異なるのは日本の仏教には神道や儒教の影響があったとも言われています。 (他国から言わせると、日本の仏教は本来の仏教でないらしいので・・・。) とすると、もしかして、今の私達は宗教観おかしいのでしょうか・・・。 https://blog.goo.ne.jp/miltran_alex800/e/a34151b4d5ca52221b37c71ad45eed63 https://plaza.rakuten.co.jp/bluestone998/diary/201606220000/ 日光東照宮も http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-351.html https://wha.or.jp/?whablog=16869 ※時間の合間で質問し過ぎではありますが、宗教について調べていたが疑問が残ったので、事実なのか気になってですね。
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神道と仏教は日本に入ってきた時代からして違っていて、神道が古来からあって仏教はそのあとに入ってきたんです。仏教はインドを発祥の地とし、シルクロードを経て中国経由で入ってきました。また、神道は日本人の土着信仰のように長い間考えられてきたのですが、これが驚き桃の木山椒の木で、そのルーツは古代イスラエルから日本に渡ってきた中国系景教徒(元々はユダヤ人)だったことが日本人歴史研究家とイスラエルの歴史研究家の共同作業により明らかとなりました。ユダヤ教と神道は本当に酷似しています。 仏教では仏像を本殿に祀って礼拝をおこないますが、ユダヤ教では像を彫ってそれを神様として神殿に祀ってはならないとされ、日本における神道でも像を祀ったりはしません。神鏡が飾られているのみ。神様には姿・形がないので、姿を現すための拠り所として鏡や石、樹木があるわけです。 ついでに説明しておくと、ユダヤ教の聖地エルサレムはイスラム教とキリスト教の聖地でもあるわけですが、ユダヤ教が歴史が一番古くて、キリスト教とイスラム教の土台なのです。ご承知のようにキリスト教のもとになったのはナザレのイエス(イエス・キリスト)で彼は元々はユダヤ教徒でした。 そして、イスラム教徒であるアラブ人とユダヤ人(古代イスラエル人)は始祖をたどっていけば兄弟(厳密にいうと異母兄弟)なのです。 日本人と同じく古代イスラエル人(血統的民族としてのユダヤ人)も黄色系もしくは褐色系人種(イエス・キリストも例外ではありません)。 日本にあるイエスキリストの墓(青森にあります)とそこで謳われる日本人に古くから伝わるヘブライ語の祈りの歌、日本語(やまとことば)とヘブライ語に共通する多数の同音同義語の存在、エルサレムと日本にしか存在しない「三種の神器」など。日本人のルーツがイコールユダヤ人とまではいえないまでも、かなり古くからかかわりがあったことだけは確かで、いわば親戚みたいな関係だといえるのです。そこで問題は仏教と神道の関係ですが、これは江戸時代よりもも少し前ぐらいから神仏混交となっていて神様も仏様も同じ感覚で信仰することが習慣というか政治的手法として金を生むための道具になっていたわけですが、神道と仏教は本来は別物で神道では偶像崇拝を禁じられているわけですからいっしょくたにするのは横暴というものです。元々は仏教には賽銭などというものはありませんが、ユダヤ教をルーツに持つ神道には賽銭箱を拝殿前に設けるのはありで、 古代イスラエル人が外部侵入者からの迫害によって破壊された神殿を立て直すために始まったもので、この習慣が神道にも採用されたということです。 つまり神道の習慣が仏教の方に受け継がれたということでしょう。 補足として申し上げたいことがひとつあります。 とある学者によれば日本人は三種類にルーツが分けられるそうで、そのひとつは中国もしくは朝鮮をルーツとした日本人、もうひとつはモンゴルをルーツとした日本人、最後に最も優秀なユダヤ人をルーツにした日本人だそうです。 皇族とかノーベル賞とるような学者先生はたぶんこの系統なんだろうなーっておもいます。最後に僕の住むところでも祇園という町があるのでぼくももしかしてユダヤ系?って思ってぬかよろこびしていたら、残念ながら違ってました。なぜならぼくの好物は『とんこつラーメン』でした。ユダヤ人(ユダヤ教徒)は禁忌とされている豚肉は食べません。 最後に時間のある時で結構ですからこちらの動画をご覧ください。 きっと興味を持つはず👍
- nagata2017
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寺社とお金の関係は 寺領 社領 などと呼ばれる耕作地を所有していた時代は自前で資金を稼ぎ出すことができた。 その後 現在にいたるまでにいろいろとあって 領地もなくなり お布施とか賽銭がないと成り立たなくなった。ということでしょう。 袈裟を着て経文を読めばお金になるシステムを作りあげた…葬式仏教 お賽銭をあげれば願い事がかなうというデマを広めたら当たった・・・神社
お礼
そうなんですか・・・。 だから、お金払いシステムが出来たのかな。 教えて下さってありがとうございます。 回答ありがとうございました。
- nagata2017
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廃仏毀釈 江戸時代の後期にその兆しがあった。明治になってそれを国策とした。 そしてそれにのせられて民衆が暴走したのが 廃仏毀釈という運動。 水戸光圀の影響により成立した水戸学が 神仏分離、神道尊重、仏教軽視。 政権が徳川から天皇家に移動して 光圀の神仏分離が国策になるというのも皮肉な話ですね。
お礼
まあ、そうですよね。 そりゃ、反乱が起きますわ・・・。 大変だったんですね。 私が質問したきっかけは質問内容に転載したサイトも理由としてありますが、宗教とお金の関係性です。 日本人は神社関連や寺関連でお金を払っているが、本来は お金を必要ないそうですからね。 江戸時代まではお金のお支払いは存在しなかったそう。 江戸時代までの仏教はお金払っておらずただだったそうです。 日本の宗教はお金と結び付けているのでおかしい。 他国の仏教はどうも、仏教=金儲けではないらしいし、葬儀などもお金は必要ないそうです。 葬儀屋も他国から見ればおかしい事業なんです。 日本の神道も本来は金は必要ないものでした。 明治維新以降にお賽銭なるものができたそうです。 まあ、ネットで知ったことだから、本当かどうかは分からないですけどね。 明治維新以降とお賽銭の関係、明治維新以降の仏教と金儲けの実態で調べたら出て来るし、本当なのかなと思う。 だから、日本の宗教=金?江戸時代までと違って明治以降の日本の宗教はおかしいと思ったからね。 参考になりました。 回答ありがとうございました。
補足
すいません。 あのですね。 明治維新以降の神社とお賽銭の関係は室町時代からあったそうなので、そちらは誤解していたようです。 お金払わなくていいのは仏教の方だけでした。 ただ、お賽銭文化が復旧したのは明治以降というらしいです。 本当だったのだろうかともう一度調べたら違っていたので・・・。
- ichikawa2017
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>今の日本の宗教は江戸時代までの宗教と異なるとネットで知りましたが本当なのでしょうか・・・ 本当と言うか形態が違っているのは事実です。 一番分かり易いのがお寺と神社の関係です。 現在はお寺と神社は別々の敷地にありますが、江戸時代以前は同じ敷地にあるのが一般的な形態でした。 明治政府が「神仏分離令」という法令を通達したことによって現在のように別々の敷地になりました。 >本当の所、GHQ(WGIP)のおかげで知ることは出来ないからと仕方ないらしいんです。 GHQが禁止というか排除したのは、靖国神社などの国家神道と呼ばれるものです。 宗教全体に影響したのは明治政府の政策です。 明治時代に諸外国から信教の自由を認めることが求められて明治憲法にも信教の自由が定められました。 一方明治憲法では国家の主権は天皇のものであり天皇家が神道に基づいて行う神事が国家の行事とされていました。 このままでは憲法の信教の自由と矛盾することになりました。 そこで明治政府は神社に参拝する行為は宗教では無く習慣儀礼であるとしました。 やがて神社への参拝が奨励されるようになり神道が国教のように扱われるようになりました。 これが後に国家神道と呼ばれました。 GHQが排除したのはこの国家神道です。 仏教や古来の神道を排除したわけではありませんでした。 >日本の仏教には神道や儒教の影響があったとも言われています。 仏教はインドで生まれましたが、これが中国へ伝えられて中国土着の思想である儒教が取り入れられました。(漢訳仏教) この中国の仏教(漢訳仏教)が日本へ伝えられました。 比叡山の天台宗や高野山の真言宗がこれに相当します。 やがて日本の神道の神様は仏様が姿を変えて日本に現れたものだという考え方が広がりました(本地垂迹説) 鎌倉時代になると日本固有の鎌倉仏教と呼ばれるものが生まれました。 一向宗(浄土真宗)、禅宗、日蓮宗などがこれに相当します。 現在も浄土真宗や禅宗、天台宗、真言宗などいろいろな宗派がありますが、いずれもインドで生まれたものとは違っています。 >他国から言わせると、日本の仏教は本来の仏教でないらしいので・・・。 仏教がインドから広がる際に東南アジアへ伝わった上部仏教(南伝仏教)と中国を経て日本を初めとする東アジアへ伝わった仏教(大乗仏教)とに分かれました。 一般的には、大乗仏教や禅宗は宗教と言うよりも哲学だと言われています。 >もしかして、今の私達は宗教観おかしいのでしょうか・・・。 おかしいと言うか宗教とは何ぞやという問題と深い関わり合いがあります。 現在使われている「宗教」と言う言葉は明治時代に religionを翻訳する際に使われました。 翻訳語ですので言葉の定義として欧米のキリスト教を元にした定義が流用されました。 結果的に明文化された聖典を持ち教祖が明確であることなどを満足するものだけが宗教であるとされました。 この定義に従えば日本古来の神道は宗教ではないということになってしまいます。 明治以前には宗教という言葉は宗派の教えという意味の言葉でした。 現在はキリスト教に基づいた定義だけでは充分ではないとされています。 一方で宗教という言葉の定義は宗教学者の数ほどあると言われています。 言い換えると現代の日本人の宗教観も定義次第では当てはまったり逸脱したりしてしまうということです。 広範囲にわたる御質問ですので何かあれば補足質問をお願いします。
お礼
なるほど・・・。 でも、国家神道がなくなってもその影響が今も強いと見ましたが・・・。 それが関係しているんですかね・・・。 疑問もありましたが、知らなかったことも多いので大いに参考になりました。 回答ありがとうございました。
- NOMED
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「寺請制度」(檀家制度)に影響があったと思います それまでは、江戸幕府が宗教統制の一環として設けた制度として、今でいう住民票・戸籍(宗門人別帳)を各地域の寺院が統制管理していたものです これにより、仏教が生活の一部となり長い間、国民の宗教観に関わっていたと推測されます ので、明治5年に新たに編成された「壬申戸籍」制度によって、仏教に対する宗教観が各地で生活から離れていった人たちも多かったと思われます
お礼
宗教から離れたと・・・そんな事情があったんですか・・・。 知らなかったので参考になりました。 回答ありがとうございました。
- eroero4649
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神道については少なくとも明治政府によって大きく変えられています。 明治新政府の元勲たちが欧米諸国に留学して気づいたのは、欧米ではキリスト教が人々の精神的な結びつきとして深く関わっていることだったのです。「日本国民」という概念を日本人に広めるためにこれを非常に参考にしたんですね。 で、神道を天皇中心としたキリスト教チックなものに作っていったのです。 宗教には3つの要素が必要だと言われています。「教祖」「経典」「儀式」です。その宗教を興した教祖様がいて、その教祖様の教えをまとめた経典があって、様々な宗教儀式があります。 神道にあるのは「儀式」だけで、「教祖」も「経典」も存在しないんですね。だから神道って宗教とはいえないのですよ。学術的にはこういうものを「アミニズム」といいます。土着信仰という言い方もありますね。 キリスト教のカトリックでは、教皇は「神の代理人」とされていて、教皇がいうことは神がいうことと同じだとされているのです。だからカトリックの信者は教皇のいうことに従います。 明治政府はこれは模範として、いわば天皇を教皇のような立場に置いたのです。そしてそれは、思った以上に大成功したといえるでしょうね。今でも天皇を神様同然に崇めている人は多いですからね。
お礼
やはり、本当だったんですか・・・。 西洋の影響が大きいのですね・・・。 明治維新は悪い意味でも良い意味でも変革だったんですね。 教えてくれてありがとうございます。 回答ありがとうございました。
お礼
日本人はキリストとも縁が深いのか・・・。 信じがたいが・・・。 しかし、詳しく教えてくれてありがとうございます。 回答ありがとうございました。