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標準語の出来た経緯
ネットで、チラッと見ただけなのですが、今の標準語は、明治時代に、学者などが相談して作り上げたらしいのですが、それは本当でしょうか?
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日本語 「方言#日本の方言政策」および「日本語の方言」も参照 日本語においては、明治中期から昭和前期にかけて、主に東京山の手の教養層が使用する言葉(山の手言葉)を基に標準語を整備しようという試みが推進された(そのうち最も代表的で革新的だったのは小学校における国語教科書である)。これに文壇の言文一致運動が大きな影響を与えて、「標準語」と呼ばれる言語の基礎が築かれた。なお、「標準語」という用語は岡倉由三郎によるStandard Languageの日本語訳である。官公庁の公式文書などには、普通文が主に用いられる。 太平洋戦争以後は国家的営為としての標準語政策は行われなくなり、各地の方言を見直す動きが現れたり、国家が特定の日本語を標準と規定することに否定的な考えが生まれたりした。そのような中、「(全国)共通語」という用語が登場し、NHKなど一部では「標準語」が「共通語」に言い換えられるようになった。 現在の日本には標準語を規定する法律や公的機関は存在しないが、一般に「標準語」と言った場合、日本の首都である東京の方言から特定の地域・階層に偏る要素(下町地域で見られるシとヒの交替など)を除いたものを指すことが多い。口頭言語ではアナウンサーのアクセントやイントネーションが標準的として認識されているが、時代と共に変化している。例えば、「電車」のアクセントは従来「デンシャ」が正しいとされてきたが、「デンシャ」(太字は高く発音)も広がりつつあり、メディアや駅の案内放送でも2通りのアクセントが混在している。 近代以前は平安時代の京都の貴族語に基づく文語体が標準的な書記言語として広く通用し、口頭言語についても、江戸言葉が成熟する江戸時代後期までは京言葉が中央語であり、京都を中心に新語が日本各地に伝播していったとされる[12](方言周圏論やアホ・バカ分布図も参照)。京都方言がかつて中央語だった名残は現代共通語にも残っており、例として、古風な文体で「わしは知っとるのじゃ」のような近世上方語風の表現が使われること(老人語参照)[13]、「残っており」「寒うございます」「ありません」などの文語・敬語表現、「怖い」「しあさって」「梅雨(つゆ)」などの語彙が挙げられる。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A8%99%E6%BA%96%E8%AA%9E#日本語 ■
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- t_ohta
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江戸末期には270くらいの藩が存在し、それぞれの地域でお国言葉がありました。 地域が違うと話し言葉では会話が成り立たないほど違いがあったそうです。 日本という一つの国として統一するために共通の言葉で全国民が話をできるようにと標準語の制定をしたそうです。
お礼
そうなんですか。確かに、青森と鹿児島では、通じなかったでしょうね(笑)ありがとうございました。
- nihonsumire
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そういうことになるのでしょうか。ご存じのように、「日本人初の言語学者・上田万年が標準語を作ることを思いついた」とNHK歴史秘話ヒストリア(参1)にあります。万作の論文をうけて、「受けて文部省に国語調査委員会が設置されたの」と文教大学の学生による人間科学大事典(参2)にあります。詳細は異なるところがあるかもしれませんが、大筋あなたのご質問の主旨でよいと思われます。 参1)歴史秘話ヒストリア - NHK https://www.nhk.or.jp/historia/backnumber/293.html 参2)文教大学の学生による人間科学大事典 http://kwww3.koshigaya.bunkyo.ac.jp/wiki/index.php/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E6%A8%99%E6%BA%96%E8%AA%9E%E8%AA%95%E7%94%9F%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2
お礼
なるほど。このような経緯があったんですね。ありがとうございました。
お礼
実に、簡明に説明いただき、よく、理解出来ました。共通語でも、丁寧語には京都の言葉が残っているように思えます。今や関西弁とキワモノのように言われてますが、かつては、それが標準の時代があったんですね。それも驚きです。ありがとうございました。大変、参考になりました(^_^)