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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:東京招魂社を寛永寺の場所に創ろうとしたのは?)
東京招魂社を寛永寺の場所に創ろうとしたのは?
このQ&Aのポイント
- 「東京招魂社を寛永寺の場所に創ろうとしたのは、木戸孝允か大村益次郎か?」
- 東京招魂社は靖国神社の元であり、その場所を寛永寺に造る計画があった。
- 木戸孝允と大村益次郎の間で東京招魂社の創設に関しての議論があったが、真相ははっきりしていない。
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東京招魂社を寛永寺の地に創建することを発案したのが木戸孝允か大村益次郎かという問題について、研究者の発表内容がネット上に載っていました。 それによると、木戸孝允説の根拠は『木戸孝允日記』明治2年正月15日条に見える「上野招魂社構想」の記事ですが、それ以前の明治元年冬に駿河・遠江に帰郷後迫害を受けている報国隊・赤心隊士の処遇について相談された大村益次郎が「没収する予定の上野東照宮領を招魂社領とし、報国・赤心両隊の隊士を社司としてみな東京に引き上げさせれば良い」と報国隊の大久保初太郎に語っており、上野に招魂社を創建する構想は「木戸の発意ではなかったことになる」としています。 國學院大學研究開発推進センター 慰霊と追悼研究会(第5回) http://www2.kokugakuin.ac.jp/kaihatsu/active_b_05.html 木戸孝允日記 明治2年正月15日のページ https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1075389/93
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