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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:元々の東海道の終点・京都五条大橋へ入る道のルート)
元々の東海道五十三次の終点・京都五条大橋へ入る道のルート
このQ&Aのポイント
- 元々の東海道(東海道五十三次)の終点(京都への入り口)である五条大橋へ入る道は、(最後の宿場「大津」から元々の終点・京都五条大橋へ入る道は、)どの様なルートを通っていたのでしょうか?
- 東海道五十三次の最後の宿場「大津」から京都へ入る道は、三条大橋を経由するよりも、むしろ「五条大橋」の方が便利だからです。しかも、五条大橋は三条大橋と同時期に秀吉が整備した橋で、改めて考えればなぜわざわざ三条大橋を選んだのか不思議です。
- 元々の東海道(東海道五十三次)の終点(京都への入り口)である五条大橋へ入る道は、どの様なルートを通っていたのかを教えてください。
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あくまでも個人的な意見ですが、 東海道を正式に制定して、宿場を指定して設置したのは江戸幕府です。 それまでは、「道」はあったけれども、どこが正式な東海道なのかということが決まっていたわけではありません。 当然、終点が五条とか誰も決めていません。 山科から三条へいたる道も、五条へいたる道もあったわけで、それぞれ同様に使用されていたと思われます。 だから元々の東海道が五条だということがあったわけではないはずです。(正式に決めていたわけではないでしょうから、その時々でということかと) 五条へいたる道ですが、おそらく渋谷街道にあたるものと思われます。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%8B%E8%B0%B7%E8%A1%97%E9%81%93 あくまでも個人的感想ですが、 三条へいたる「東海道」よりも、狭隘で急坂な感じですね。 物流を考えれば、三条方面を整備したいと思うのも無理のない話かと。 また、京都のどこに入るかにもよりますが、二条城や御所へ向かうのであれば三条へ向かう方が便利です。 京都駅が江戸時代の中心ではないからですね。 京都への行先によって、地元の人は使い分けていたのでしょう。 刑場云々の話は、筆者も書いてある通り、こじつけ感が強すぎます。 江戸は街道脇にすべて刑場を設置していますからね・・・ ちなみに、江戸幕府の制定した正式な西の終点は大坂・高麗橋です。 京都は盲腸線のような扱いです。
お礼
御回答ありがとうございました。 よくわかりました。