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《自分の事を棚に上げて他者を非難する》事について
所謂《自分の事を棚に上げて他者を非難する》事はよく見られる現象ですが熟考してみれば悪質なことには変わりないが満更でもないのかなと… というのも、こういった発見をする際「じゃあ自分はどうなの?」「貴方はその人(対象者)より何か成し遂げてるの?」といった反応を度々見かけます。 しかし発言の権利は誰にでもあるので例えその人が何者でないにせよ発言自体は何ら問題ないなと。 それ相応の者でないからといって発言してはいけない理由にはなり得ませんしその権利を封じていいものでもありません。それにどのような尺度で判断するかも難しい所ですし「そんなこと自覚してるけど非難しちゃいけない理由にはならないよね?」と言われればそれ迄の様な気がします。何もしていないくせに言うなというのは通用しないのではないかと思いました。 皆さんはどのように感じられるでしょうか。 お聞かせください。
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- stmim
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- fujic-1990
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もちろん、時と場合によります。 高齢化した事業家が、自分にできないことをやらせるために若い人を雇ったというような場合には、自分にできないことでも若い人がやらないなら、非難するでしょ。当然のことです。 でもそういう場合は、《自分の事を棚に上げて他者を非難する》とはふつう、言いませんよね。 自分の事を棚に上げて他者を非難すると言われる場合、その意見を聴いても、その他者が私でない場合には「説得力がない。自分がやらないことを他人に期待するほうが間違っている。聞いていても時間の無駄、無駄」と感じ、その人を軽蔑します。 その他者が私なら(つまり私を非難しているのなら)反発して逆行動にでますので、どんな立派な意見でも逆効果です。「ただ無駄」のレベルなんじゃなくて「有害」な意見になる、と感じます。 どっちの場合にしろ、以後その人と関わりを極力持たないように努力します。上司だとまったく縁切りするわけにはいかないでしょうが、敬したフリをして遠ざける態度に出るでしょうね。 なにかいいことをしたいなら、「人の事は言えんけど、…したほうがキミの仕事はもっと楽になると思う」みたいな、非難ではない言い方を考えるべきでしょう。
- g27anato
- ベストアンサー率29% (1166/3945)
個々の専門家さんの持論は、様々にある「多様な考え方の一つ」として受け止めるだけになるかと思います。 そこに別の持論をぶつけるには、対立する事も容認しながら互いの持論を聞き容れつつ、 互いが認められる新たな論説を導き出す為の、出発点が一致した議論の場を設ける必要があるでしょう。 「劣悪」を論じるには、提示の論説では根拠に曖昧さを感じます。 対立する持論の互いを容認せず、 一方だけを是として、もう一方を悪とする考え方であるなら、 互いが相い対する双方を否定し合う対立を残したままに、考え方の基本部分に一致を見い出さないことで対立は対立のまま終わり、議論としても成立しない事になります。 質問者さん自身も、 「劣悪」を論じる以前に、その基本部分となるべき根拠に曖昧さを感じて、 そこに疑問が生じているのではないでしょうか? …これが質問に対する回答になるかと思います。 曖昧な根拠に別の根拠を持ち出して反論を加えようとしても、根拠の基本部分の一致性が無く形式的に議論を模しただけの、単なる不毛な対立にしかなりません。 一つの持論と別の持論が対立しながら議論として成立するには、 互いの持論の出発点を一致させる事が最低限必要です。 その目的の為に「じゃあ、お前はどうなんだ?」と問い質すことも、 時と場合によっては有りうるだろうとは思いますが、 質問の前提とした件の論説自体には根拠の曖昧さが感じられるために、 回答者としては、その論説に対して「個人的な感想は残念ながら無い」というのが正直なところです。
- g27anato
- ベストアンサー率29% (1166/3945)
質問に興味を感じたのですが、 具体的に「何を知りたいのか」がよくわかりません。 できたら「知りたい事」を簡潔に補足願えますか?
補足
この質問は哲学者山口尚さんのブログを読んで(下記参照)ふと思ったことがきっかけでした。引用 じっさい〈自分を棚上げにして他者を責めること〉に伴う快楽に流されやすい者はたいへん多く、そしてこうしたひとびとは「劣悪」である。そしてその劣悪な振る舞いゆえに責められて当然だと言える。 とあります。この意見には頷けますが一概に悪とは言い切れないのではないか?と思った故の質問です。その諸々の理由として自分が思った事を記述しました。'棚に上げる'の基準が微妙な処ではありますがこの様な一連をどう感じるかのか反論の余地はあるのかというものです。 https://note.com/free_will/n/nf4c88419ff4e