• ベストアンサー

東海地方の呼び名

東海地方は中世の時代までどう呼ばれていたのですか。 「海道」や「尾張など」・・・ですか?

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • Ambition
  • ベストアンサー率49% (43/87)
回答No.3

愛知・三重・岐阜の東海三県、または、愛知・三重・岐阜・静岡の東海四県のことを念頭に回答します。 現在の「東海地方」と同じ領域を表す言葉は、中世の段階では存在しません。東海三県などがひとつの地域として認識されるようになったのは近代以降なので、中世には同じくくりの名称はありません。 基本的に、国ごとに令制国の名称で呼んでいたと思われます。伊勢、伊賀、志摩、尾張、三河、遠江、駿河、伊豆、美濃ですね。「海道」と言われることはあっても、それは愛知県と静岡県(伊豆半島は除く)だけで、岐阜県や三重県は含みません。 「海道」について補足しておくと、これは木曽三川から富士川までの細いエリアで、今の愛知県と静岡県だけです。三重県や岐阜県は入りません。 「東海道」についても補足しておきます。これには地域と街道の両方の意味があります。地域を表すときは、五畿七道における東海道ですが、この東海道は今の三重県から茨城県に至る広大な地域を包括します。東海三県どころではありません。ちなみに、今の岐阜県にあたる美濃国・飛騨国は、東海道ではなく「東山道」に位置します。 街道としての「東海道」は、古代に整備された東海道と江戸時代に整備された東海道がありますが、どちらも岐阜県は通りません。 長くなりましたが、愛知・岐阜・三重・静岡をまとめた地域名は、かなり新しいということです。

cma79458
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 昔は京坂と関東の中継な地域なため、正式な地名がなかったんですね。

その他の回答 (5)

  • jkpawapuro
  • ベストアンサー率26% (816/3045)
回答No.6

五機七道でお調べください。 当時の地域区分です。 三重から茨城までをまとめて東海道と呼びました。 海道一の弓取りという表現がありますので、略すと海道でしょうね。

cma79458
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 この東海地方の重要性は江戸時代、尾張徳川家になってからなんですね。

  • tzd78886
  • ベストアンサー率15% (2590/17104)
回答No.5

「東海道」は、江戸日本橋から西に向かうと熱田からの「七里の渡し」からは伊勢、近江を通って中山道と合流、京にいたる道です。東海道本線や東海道新幹線の関ヶ原以西は概ね中山道沿いに造られたもので、旧東海道沿いではありません。尾張と美濃の間は低湿地帯で当時の技術では道路を造ることが困難だったからです。旧東海道は今で言えば関西本線、草津線にほぼ沿っています。

  • Ambition
  • ベストアンサー率49% (43/87)
回答No.4

日本毛織物等工業組合連合会の尾州産地の説明ページへのリンクを貼って、「尾州」と回答されている方がいらっしゃいますが、明確な誤りですので、ご注意ください。 「尾州」は尾張国のことで、あくまで現在の愛知県西部を指すだけです。中世に「尾州」が現在の東海地方全体をさす用途で使われていた事実はありません。そのような用途で「尾州」が使われた中世の古文書などは聞いたことがありません。 尾州毛織物の産地が愛知県だけでなく岐阜県の一部にもまたがっているため、岐阜県産の毛織物も尾州毛織物とされているだけで、中世に美濃や伊勢まで尾州と呼ばれていたわけではありません。地域区分とは全く関係ないページのリンクがはられていますね。

  • f272
  • ベストアンサー率46% (8469/18132)
回答No.2

東海地方をひとまとめにして呼ぶような名称はありませんでした。東海道では広すぎるし,尾張や三河などでは狭すぎます。

関連するQ&A