>新選組って「組」なのに、何で組長ではなく局長と呼ぶんですか?
面白いところに、興味を持ちましたね。
実は・・・。
会津藩の記録にも、旧新選組駐屯地の落書き(近藤勇直筆)にも「局長」という名称はありません。
「会津新撰組隊長・近藤勇」なのです。
じゃ、何故「局長」なの?
会津藩では、下部組織として「局」が存在します。
幕府から預かった新選組は、会津藩では下部組織として扱ったのです。
が、正式の会津藩下部組織でないので「隊長」なんですね。
明治維新後、しばらくは「朝敵」と看做された新選組は歴史の表舞台から消えます。
徳川慶喜が名誉回復となった頃から、徐々に新選組に対して興味を持つ方が増えてきます。
※徳川慶喜家は、断絶しました。
日清戦争・日ロ戦争・太平洋戦争などで、「忠義・臣下」が求められるなかで「最後まで、幕府軍として戦った新選組の再評価」が行われます。
戦後、「新選組に関する歴史物語」に「新選組局長・近藤勇」と書かれたのが今に続いている様です。