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「可能性は低い」「可能性が低い」について

例文 (1)誰かが肺炎のため病院で死去すれば、解剖の【可能性は低い】。 (2)誰かが肺炎のため病院で死去すれば、解剖の【可能性が低い】。 (1)と(2)には何か違いがありますか?もしそうであれば、何でしょうか? どうぞよろしくお願い申し上げます。

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  • kappa1zoku
  • ベストアンサー率29% (334/1137)
回答No.4

本の受け売りです。 『日本語の文法を考える』大野晋著。 >さて、私は先に文表現をする場合には相手がまだ知らないことを伝えるのが主眼だと述べた。しかし、文は常に未知の内容だけで成り立つものではなくて、相手がすでに知っているはずのこと、知らないはずのこととの組み合わせで分をつくる。 (1)既知と未知・・・私は大野です。つまり、私は(ダレカトイウト)大野です。 (2)既知と既知・・・バカはバカだ。 上記のように、既知の情報を受ける助詞が「は」である。 (3)未知と既知・・・私が大野です。これは「大野さんはどちらですか」という問いに対する答えとして使われます。 (4)未知と未知・・・花が咲いている。これが「花は咲いている」という文章ならば、「花は(ドウシテイルカトイエバ)咲いている」という具合に題目に説明を加える文になります。 しかし、「花が咲いている」の場合は、花を見つけ、あるいは驚き、あるいは喜び、目の前の事実として描写もので、文全体が一瞬にして認識されたのです。 このことを大野氏は以下のように説明しています。 >「は」は題目を提示して、それを既知扱いにする。それに対して「が」の根本的な特性は、「が」の上にくる言葉と一体となって、下のくる表現に対する条件付けをすることにある。条件づけをするとは、下にくる体言や動詞や文表現などに対して、「が」を含む上の部分が新しい情報を加えるものだということです。 以上のことを学んだ上であなたの質問を見ると、以下のように判断できるのではないでしょうか。 (1)「解剖の可能性」は低い・・・「解剖の可能性」はという題目を受けて(ドウイウコトニナッテイルカイエバ)「低い」という未知の情報が加えられています。 (2)「解剖の可能性」が低い・・・この場合は、それまでの文章から「解剖の可能性」という未知の情報が提起され、それを受けて「低い」という判断が付け加えられています。 どちらも同じような内容を語っているのに、何故か受けとめる印象が違っています。 単純に言えば、「は」は上にある文章は既知の情報なので、下につける未知の情報を受けても説明的な文章になります。 それに対して、「が」の方は、すでに上にある文章が未知の情報であるがゆえに、下にくる未知の情報を加えたら、尚一層強調された印象を受けるのです。 それは「が」が使われた歴史によるものだと思います。 日本語は主語がない文章が特徴だと言われています。それは主語をつけなくても、省略しても通じる人間関係が保たれていたということです。 「が」が多くつかわれるようになったのは、万葉集での防人の歌などからです。東国にいた武士のさきがけのような人たちが、時代を遡る間に勢力を延ばしていったこととも関係します。 古代においては、「が」は自分の身近なものを受ける形で使われていました。それが時代とともに使用の範囲を広げていったのですが、身近なものに対する「が」の印象が、使用範囲を広げる形でもそのまま残ったという風にいえるのではないでしょうか。 ですから、「が」を受けた主語の印象の方が強く感じられるのではないでしょうか。 意味は同じでも印象の度合いが違うのは上記の理由だと思います。

Seek_The_Truth
質問者

お礼

本の受け売りでも、まだ有益です。では、「は」は既知の情報を表しますが「が」は未知の情報を表しますよね。 どの回答がベストアンサーにするかを考える必要があります。ご回答がベストアンサーにしなかった場合は、ご理解いただけましたら幸甚に存じます。 とにかくご回答くださいましてありがとうございました。

その他の回答 (4)

  • OK1723TRD
  • ベストアンサー率38% (18/47)
回答No.5

【解剖の可能性は低い】 の「は」は特殊性の認識を表わす副助詞で、そのまま搬出や焼場行きなどと比較・対照した「解剖という可能性」という特殊性の認識を表わします。 【解剖の可能性が低い】 の「が」は個別性の認識を表わす格助詞で、他との比較・対照の認識はなく単に【解剖の可能性】が低いという表現です。■

Seek_The_Truth
質問者

お礼

わかりました。では、「は」は他との比較・対照を表しますが「が」は強調を表しますよね。 どの回答がベストアンサーにするかを考える必要があります。ご回答がベストアンサーにしなかった場合は、ご理解いただけましたら幸甚に存じます。 とにかくご回答くださいましてありがとうございました。

  • kaitara1
  • ベストアンサー率12% (1154/9141)
回答No.3

養老孟司さんは、「は」は英語のa、「が」はtheに相当すると言っています。

Seek_The_Truth
質問者

お礼

とても不思議ですが、同じことに触れているブログがあります。ブロガーは養老孟司氏をよく知っているのではないでしょうか。 (出典:http://www.japaneseprofessor.com/lessons/beginning/the-topic-marker-wa/) どの回答がベストアンサーにするかを考える必要があります。ご回答がベストアンサーにしなかった場合は、ご理解いただけましたら幸甚に存じます。 とにかくご回答くださいましてありがとうございました。

  • marukajiri
  • ベストアンサー率45% (504/1101)
回答No.2

「が」と「は」を用いることのニュアンス違いとして、「が」を使うと、「は」を使うのに比べて、その事柄について強調する感じを受けます。「は」を使った場合には、いくつかの候補が存在し、それらを一つづつ説明する時などに使用するのに適していると思います。 (1)と(2)の例文では、解剖について言っているのですが「が」を使って言った方はそれで完結しているのに対し、「は」を使った方はいくつかの別の面からアプローチすることができそうな雰囲気があります。 別の事例として、何かの事件を起こした犯人が警察に自首するなりした時に言うセリフは「私がやりました」と言うのが普通だと思います。「私が」と言うことで他の誰でもない自分であることを強調しているのです。もしもこれが無実の罪で逮捕され、取り調べを受けた場合には「私はやっていません。犯人は他にいます」という言い方をするはずです。 この場合、犯人となる可能性のある人物は、逮捕された人以外に最低でも一人以上はいるわけなので、事件は犯人がやったことであり、その可能性の一人となっている自分はやっていないので「は」を使うのです。 犯人ではない人が「私がやっていません」という言い方は、ものすごく不自然に思いませんか?実際の所、やっていない人は複数いるのです。嫌疑をかけられた容疑者の一人が無実であり、多くのやっていない人のうちの一人であるわけですから、「は」を使うべきなのです。 以上のことから、「が」を使う時は特定の人や事柄に限定して話す場合であり、「は」を使う時は、複数の人や事柄が考えられる場合が適当だということがわかると思います。

Seek_The_Truth
質問者

お礼

さあ、「は」は他との比較・対照に用いるが「が」は強調に用いるとおっしゃっていると思います。 どの回答がベストアンサーにするかを考える必要があります。ご回答がベストアンサーにしなかった場合は、ご理解いただけましたら幸甚に存じます。 とにかくご回答くださいましてありがとうございました。

  • KoalaGold
  • ベストアンサー率20% (2539/12475)
回答No.1

【可能性は低い】では解剖の可能性以外の何かがあるなと感じさせます。 【可能性が低い】ではストレートに言い切っているので他に含みをもたせません。 「1年生が出席しました」「1年生は出席しました」 後の文では他にも何か言いたのではと含みがあるように聞こえます。ほとんど、「しかし」と続いてもおかしくないくらいです。

Seek_The_Truth
質問者

お礼

ああ、そうです。「は」は他との比較・対照を表しますが、「が」は他との比較・対照を表しませんよね。 どの回答がベストアンサーにするかを考える必要があります。ご回答がベストアンサーにしなかった場合は、ご理解いただけましたら幸甚に存じます。 とにかくご回答くださいましてありがとうございました。

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