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状況もよく確認もしないで安易に大声をかけてくる人
こんばんは。長文になります。私は、川崎のとある工場において製造業をしていますが時おりこんなことがあります。ある日、内側がいくつもの間仕切り空間になっている品物の中に複数名の作業者が入って仕事をしている最中に、自分たちの上司から私の携帯に着信があり、それに対応している最中に同じ品物内で作業している別の人がこっちの状況も確認しないでいきなり大声で「おい◯◯(私の名前)!これは△△か?!それとも□□か?!」などと言ってきたのです。私はその時、「相手の様子が見えるところまで少し移動して(こっちの)状況を確認してから声をかけてほしいな」と思いました(それくらいの行動はとれる状況の筈)。他にも別の日に、上司からの電話に私が対応し始めた矢先にろくにこっちの状況を確認もせずに気安く(私に)大声で名前を呼んで話しかけてきた人がいました。通話中の私が大声をかけてきた相手に対して応答できる筈もないのに。更に別の日、こっちはちゃんと正しい方法で作業しているのに、10メートルほど離れた場所から、うちの会社の上司がまるで私が間違ったやり方をしているような(そのように見えたのか)言い方で注意してきたのです。何故、声をかけても大丈夫な状況かどうか相手の様子をよく確かめてから話しかけたり、相手の動きがよく見えるところまで移動してよく確認してから注意するといったことをしないのかと私は思うのですが皆さんはそうは思いませんか?
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- yaasan
- ベストアンサー率22% (2725/12280)
会社でたくさんの人がやる行為ですから、その会社でその行動の方が当たり前の行動とされているのだと思いますよ。どっちが正しいか、ではなくて多くの人がやることがその現場では正しい行動だと思いますよ。 自分のやり方の方がいいと思うなら、上司と相談してそういうふうに変えるだけかと思います。
- Nobuta250
- ベストアンサー率34% (122/353)
自身が「嫌だ」と思わない事は、他人に対して行う。 ということですね。 最近は「嫌だなぁ」と感じない人多いみたいです。 「自分がされたら嫌でしょ」と言っても「別に。何とも」と平然と答えられるとそれ以上何も言えませんよね。 昔は「2m後ろに自分が居て、行動を見ていると思え」とか「相手の気持ちになって考えて見ろ」とか「自分が嫌だと思う事は人にしたら駄目だよ」とか、戦前なら「修身」戦後なら「道徳」の時間に教えられましたが、今は「道徳」なんて教育有りませんから、仕方ないです。 スマホ文化で隣の人にもメールやLINEで話すのがトレンドとされていますから、人と人のコミュニケーション能力は失われても仕方ありません。 スマホの中では自身が「神」であり「法律」であり「正義」なので、判断基準の全ては自己にあります。他人がどう考えようが、自身の判断基準が全てに優先されますから、他人がどう思うが関係無いのです。 スマホやSNSを野放図にはびこらせたのは社会を構成する全員ですから、そういう時代が来ても仕方ないのです。こうなる事は分かっていても、誰も止めようともしませんし、今、既にこういう状況になってさえやめようとしないのですからもうどうにもなりません。 そもそも作業中に会社内の人間同士で電話でやり取りするのもどうかと思いますけどね。作業内容によっては危険が伴うし、作業効率悪いです。 元々「携帯電話とは行動を伴わない暴力である」と携帯電話が実用される前から言われていたのですから、それが現実になり、自分の身近で起きるようになっただけです。 「一般的に」なんて言葉は死語になって既に「埋葬済み」という事です。
- sutorama
- ベストアンサー率35% (1689/4748)
なぜ? というか、そのようなことがまったく分からない人は・・います たとえば呼び込みをしている魚屋さん こちらが店頭で品定めしている横で「安いよ!安いよ!」と叫びだす レジで並んでいるときに、レジのパートのおばちゃんが、大きな声でいきなり「○○さーん、これなんだけど」と他の客の耳元(真横)で叫ぶ のように、周りや相手の状況がまったく認識できていない人がいるのです 仕方の無いことです・・・