※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:昔の指導者は一辺倒な人が多かった。)
昔の指導者の特徴と矛盾した行動について
このQ&Aのポイント
昔の指導者は一辺倒な人が多かった。昭和時代は学校や塾や職場でも自己の目標に一途であり、犠牲を払ってでも目標を達成するという考え方が通用していた。しかし、その中には優れた結果を出す一方で、他者を無視したり矛盾した行動を取る人も存在した。
例えば、有名私立中学に進学するための進学塾では、塾長の一部が体罰を課すこともありました。彼らは学歴至上主義を信じており、それに従わない生徒や教師は排除する傾向がありました。
同様の矛盾は現在でも教育やスポーツの世界で見受けられます。一部の指導者は自分の価値観を押し付け、他の生徒や教員にも同じような行動を求める場合があります。しかし、このような行動は個々の適性や人格形成に対してマイナスの影響を与える可能性があります。
私自身批判して戴いた方が自分自身でも気付かない事もあるし、
そこで開かれてくる道があると思います。
(モンスターペアレンツやクレーマーは別として)
現在では、少子化等で難しくなっておりますが、
昭和時代は時代が高度成長期は学校や塾や職場でも周りの事を顧みず、
●●を目指す〇〇の為なら犠牲を払っても仕方が無い的な考えが
通っており、その様な人が表面上上手く行っていたのでしょうか?
1 例えば、有名私立中学に生徒を入れる進学塾で、90点以下ならば体罰を
課す塾長がおりました。この塾長は「世の中学歴で 有名私立中学に生徒を
入れれば生徒も一流大学 官僚か企業で」という神話を信じており
(現在でも当てはまるところはありますが)、それについていけない者は
知らないという感じだったそうです。(それについていけずに辞めた塾生や
スタッフ(講師)も居たそうですが?)
2 今、教員や芸術 スポーツ等でも、その様な矛盾が云われておりますが、
高度成長期の強豪校といわれる部活動の指導者はその様なタイプがおり、
副顧問や部長をしている教員や全生徒にも自分の価値観を押し付け、
その様に成らないといけないという感覚で通した形が多かった様に思えます。
(生活指導や罰則としての体罰は別として、島根開星の野々村直通氏等は
部活動に関しても、その様な事を言っていた様に思います。)
3 ドラマ『女王の教室』は社会の矛盾を教え、いじめ抜く事で成長して
欲しいという事ですが、(この担任教師は生徒の家庭状況や生徒の行動を
24時間監視し、自殺未遂するならば止めるが、この様な事は現実ではできない)
あくまでドラマだから成立する事であると思いますが、
実際は「ついていけない人」も大量に生み出していると思います。
(が、その様な人は沙汰されるべき位に考えている人も居られると思います。)
4 良い学校に入ったり、部活動で優秀な成績をおさめたり、仕事に励んだり
してそれは良いのですが、それで家庭に帰る事は放棄し、愛人を作りという人も
おりますが、これが社会的存在で成功者と云えるのでしょうか?
収入が増えれば、道徳的な事は二の次的な考えがこの人達の目指す処
なのでしょうか?
(実際 高校野球や大学の運動部等でも技量優秀ならば彼等の素行不良も
もみ消していたという事や、高校野球強豪校の監督もスカウトに裏金を要求する
人もいたそうですので)
(昔(高度成長期)は与党の政治家の名を出せば、交通事故位の犯罪はもみ消して
くれていたそうですので、)
(昭和30年代に板東英二氏が高校の野球部OBで県会議員に成った人に授業中でも私的に呼び出されており、正しくはないがその様な体制でいじめも暴力沙汰も温存されており、そのOB県会議員の力でマスコミも黙らせていた様な処があり、
これが正しくはないが企業も上手く行っていたという事なのでしょうか?)
この辺りの事をご回答戴ければと思います。
お礼
ご回答有難うございました。 昔の先生って、全て人格者というわけではなかったですよね。むしろ教師不適格者の方が多かったかもです。でも、イヤなヤツはイヤなヤツなりに、「あの先生から学ぶものもあったなあ」「アイツにはいい人生勉強をさせてもらえた」と思えるから、不思議です。 尊敬する先生も、反面教師もいました。 「物議を醸す教師」がいました。それもまた、勉強になった。 確かに、反面教師的な部分を学ぶ事も大切かと思います。 唯、今は先生の方も締め付けが多く、仰られる「普通の教師」に皆ならざる得ない、 そのストレスから教員苛め(昔からあったかもしれないが)の様なものが起こるのかとも思えますが、かといって、教師を野放しにさせるのが良いかというとそうではないと 思いますし、難しい処かと思います。