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運動部の暴力は必要悪的なものでしょうか?
是非は別として、スポーツの世界で体罰についての議論があります。 「野球のケツバット」や「奮起させる」と云うメリットもあったのだと思います。(完全に否定はしませんが) 唯、昔でも罰則としての体罰は別として、 「なんか知らないけれども暴れてみたい」と云う人が結構居たのでしょうか? 偏見ですみませんが、野球の監督でも暴力を余り用いない人はその傾向が少なく、暴力肯定の人はその傾向が強い様に思えます。 完全にその人を否定はしませんし、その人の功績を認めますが、 高校野球の監督でも沖縄水産のS監督等は酔うと暴れたり、学生時代も 喧嘩沙汰を起こしていたそうですので。 唯部員(生徒)の中にも、この様なタイプに殴られてはじめて云う事を聞く(それだけでなく愛情もあると思いますが)と云う人も居ります。 彼らは「この人に叶わないと思わないと基本的な事も聞かない」と云う感じでした。 彼等を枠組みに入れると云うのはそれなりのメリットはありましたが、 普通に云う事を聞く生徒も彼らの為をと思い、我慢しなければいけなかったのでしょうか? (一人同級生に普通の生徒でしたが→野球部に入り、野球部の暴力的な生徒に感化されたのか、根性や超えられる精神は身に付けたが、 私達部外者には暴力的に成ったり、大人しい教員には反抗する様に成った生徒が居りましたが、元々の悪い生徒の為ならこの方法が良いのでしょうか?) 例えば反社会組織である暴走族やヤクザも普通に云う事を聞かない人が順応できます。それに似た様な作用があり、「勝つ」と云う大義が持てるので相撲部屋や野球の世界も似た様なものになるのでしょうか?
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- nagata2017
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- 公に叩けるものに依存する人生(@sapanamaya)
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