※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:部活動命の教師は一般と乖離しているのでしょうか?)
部活動命の教師とは?問題点と昔の指導者の特徴
このQ&Aのポイント
部活動命の教師は一般と乖離しているのでしょうか?部活中心に学校や組織を考え、自分の思いを他人に押し付けている様なタイプの指導者が弊害を生み出しているのではないかと思う。
部活動のために教師になり、他の役には付かず興味もないタイプの教員は昔から存在していたのでしょうか?
昔の指導者は体罰を含む厳しい指導方法を取る傾向があったと言えるのでしょうか?校内暴力や勝つことにこだわる態度が求められていたのかもしれません。
教師始め、多数の人は役職も引き受けるが、
様々な視点から物事を見て行うという感じかと思います。
が、現在ブラック部活動問題が取り沙汰されておりますが、
私が思うには、部活中心に学校や組織を考え、自分の思いを
他人に押し付けている様なタイプの指導者が弊害を生み出しているのではないか
と思うのです。
昭和時代、とある強豪部活の顧問は「自分が顧問をすると何が何でもこの部を
強くさせる」と意気込み、それは良かったのですが、
自分の関わった生徒や人間が全員自分が目指す方向に行かなければならないと
思っている様な処があり、(それで自分のメンタルを鍛えているつもりなのかとも
思えるのですが)「ついていけない」副顧問の教員や生徒が多数おりましたが、
その様なタイプには「あいつらが根性がない」という思いで通されておりました。
確かに、「忍耐」や「簡単に諦めないで行う」事をさせる事も大切ですが、
この教員の言動は体罰等を超えて一種の宗教的なものを感じたのです。
1 この教員は「部活」をやる為に教師に成り、「部活」がしたいので他の役には
付かないし、興味もないという感じでした。
テスト1週間前に部活中止にこの教師は強引に反対したそうです。
今は厳しく成ってきましたが、昔はこの様な教師が多く居たのでしょうか?
2 私は体罰を完全に否定しませんが、「真夏の炎天下で野球の試合をさせる云々」
に島根開星高校の監督 野々村直通氏が「鍛えていれば大丈夫」
という発言で物議をかわしましたが、昔の指導者は野々村直通氏タイプが多かった のでしょうか?
3 そして、1980年頃校内暴力の時不良生徒「力で判断し、強いから従う」的な
同級生などはこの教師のやり方にはまっておりましたが、
統制や勝つという事に成ると、この様な生徒の方が良く、
矛盾に思う私の様なタイプの生徒は「自分の方向を邪魔する 目障りな奴」
と成るのでしょうか?
ご回答戴ければ幸かと思います。
お礼
ご回答有難うございました。 私たちの頃は確かに根性論で引っ張っていくタイプの先生がおおっかったと思います。 良くビンタもされましたし・・・ ただ、そこは先生と私たちとの信頼関係があったから成り立っていたのだと思います 確かにそう思います。が、違う方法でという人も居られます、そこに指導者の度量が求められると思います。 夏のくそ暑い時期でも30℃をちょっと超える位(茨城)でした。 今は、35℃とかになりますよね。 昔も今も、生徒の安全を第一に考えているのは確かでしょうから この様な事は改善されて良い様に成って来たと思います。 いつの頃かその間に「親」が入ってきて、一部モンスターペアレントと呼ばれる親がその信頼関係を断ち切った。 更に教育委員会もクレームをつけられないように、教師に体罰だ言葉遣いだだの指導が入っておとなしくなってしまいました。 唯、今大変な時期になっていると思いますし、やたら権利だけを主張するモンスターペアレンツ は可笑しいと思いますが、指導者等も反省や見つめなおす事に成る良い機会かと思います。
補足
私も暴れる子どもを抑える意味では体罰も時にはとは思えますし、 殴るまでとは行かないでも、「やる気を出させる」的な感覚も時にはありかとは思えますが、 1980年頃に私の学校に居た 所謂怖い教師は、大人しい生徒や真面目な生徒にも 不良と同じ様に接し、「根性がない」という感覚で片づけたり、 この教師が顧問をする部に仮入部で辞退したり、途中で付いていけないで辞める生徒にも 体罰を与えておりました。 強弱が全てという生徒を生かす道はそうかもしれませんが、この教師は普通の生徒も同じ様にならないといけないと思っていた節があります。 この教師にはまっていたものは当時でも弱い者いじめなどをして鬱憤を晴らしておりました。 唯、この教師がいた事や部活動に打ち込ませる事で辛うじて枠組みに入れていた事もあるかと 思えます。(野々村直通氏等の言われる事はこの様な事かと思えます。) 唯、当時も私は怖い教師も普通の教師も基本的なことは聞いておりました。 だから、理不尽に思え、早々に辞退したのですが、私の様なタイプを「根性が無い」 「他で頑張っても、認めたくない(認めると自分が非難される)」という事があるのでしょうか?