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働き方について
働き方について質問があります。 私は仕事柄、外国人の方と交流があり海外の話を聞いたりします。以前、ネパール人や中国人の方(二人とも女性)とのやり取りの中でこのようなものがありました。 (ネパール人女性から私に対して)「あなたは今、組織に所属して働いているけど、自分のビジネスはやらないのか」。「自分のビジネスをやらないのか」という言われ方をすると、まるで「あなたは他人に使われているだけで、自分の事(ビジネス)をやっていない」という意味合いに感じます。 また、大手民間企業の会社員である中国人女性が彼女自身の働き方について「私はただあの会社に仕事を手伝いに行っているだけだから(だから私の現在のキャリアは大したことないというニュアンスで)」。 これらの言い方を聞いたとき、私としては大きな違和感を感じました。というのは、たしかに私は起業はしていないけど、現在の組織に雇われて毎日行っている仕事は、これはこれで「私のビジネス」だと考えていて、だから最善を尽くそうと思っているし、他人のビジネスを「手伝いに来ているだけ」などという感覚はないからです この辺りは、いわゆる「サラリーマン」という働き方に対する考え方の違いではないでしょうか。日本ではほぼ大多数がサラリーマンという働き方を選んでいると思います。サラリーマン志向と言えるのではないでしょうか。多分、小規模な自営業者より大きくて有名な会社に雇われているサラリーマンの方が世間的な評価は良いのではないでしょうか。 上記のような「自分のビジネスをしているか」とか、会社員は「他人のビジネスを手伝いに行っているだけ」と言った発想は今まで少なくとも日本では聞いたことがありませんでした。どうでしょうか、私の視野が狭くて認知できていないだけで、日本でもこのように考えている人はいるのでしょうか。 どちらの考えも一長一短ありますが、このようなことについて、皆さんはどのようにお考えになるか知りたいです。
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- SPS700
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#4です。補足です。 質問者さんの「日本的なサラリーマン思考」は、死ぬまで面倒を見るという雇う側と会社に尽くすという雇われる側の忠誠心の上に成り立っていたと思います。 それが雇い主は儲けを国外に持ち去り、雇われる方が現地採用の臨時ポイ捨てでは日本でも能力主義に隠されたアメリカ式に変わっているのではないでしょうか。 アメリカ国内でも、1950年代にはなかった、人口数万にも上るホームレスの部落が急増している事実から、考え直さなければならない時が来ているようです。
- eroero4649
- ベストアンサー率32% (11074/34521)
「むしろ鶏口となるも牛後となるなかれ」とは、中国の故事成語です。 こんな言葉があるくらいなので、この言葉は中国人の心にグッとくるものがあるのです。日本人だったら「鶏の口よりも牛の肛門のほうがマシです」って答える人がある一定数は出てきそうです。 私が知っている範囲でも、中国人の価値観は「むしろ鶏口となるも牛後となるなかれ」ですね。独立しているやつが偉い、雇われはダサい、という傾向がありますね。 これは民族の価値観の違いですから、どちらかが正しくてどちらかが間違っているというのはないですし、他人に押し付けるものでもないと思います。 ただ、何事につけても「寄らば大樹」となっているのが平成以降に日本が低迷している元凶でもあるなとも思っています。
- SPS700
- ベストアンサー率46% (15297/33016)
どちらの考えも一長一短ありますが、このようなことについて、皆さんはどのようにお考えになるか知りたいです。 日本人のサラリーマン観は甲、ネパール人や中国人のサラリーマン観は乙、と決められないように思います。 果たして、乙のような「自分のビジネスをしているか」会社員は「他人のビジネスを手伝いに行っているだけ」と言った発想が過去にはなかったのでしょうか。 現在の日本のドラマには、個人の正義感と体制の一員の仕事の両立の間で、犠牲になりバレれば終わり、バレなければ出世する、という筋書きが結構あります。 「よらば大樹の影」とか「長いものは巻かれろ」は甲型を肯定し、自動車や家電の製造に成功した人は乙型で、国によって区別はできないように思います。
- Ice-Trucker
- ベストアンサー率24% (453/1816)
私の意見では、超一流企業のリーマンであろうと、弁護士事務所で働く 弁護士であろうと、パン屋のバイトだろうと、みんな「労働者」です。 つまり、自分の技術や労働力を売って、それを対価にお金を稼いでいる。 だから「労働者」。 資本を投入して、お金でお金を稼ぐ「経営者」や「資本家」と違う。 そのネパール人の人がいいたかったのは、「なんで労働者やってるの? なぜビジネス起こして自分が経営者にならないの?」ってことかも しれませんね。 私は40代、大手外資系企業で中間管理職をしています。 投資で富裕層になりました。まだリーマンの年収の方が多いのですが、 それでも自分の「投資」が「本業」だと思っています。 「投資」は「労働者」ではなくて「資本家」のやることで、 お金がお金を稼ぐこと。 このへんの感覚は、中国人のその方に似ているのでは?
- 中京区 桑原町(@a4330)
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文化、社会風土が異なる国で生きてきた人と比較してるのだから違和感があって当然です。 日本では一次産業である農業・漁業・林業の頃から組織を作りその一員として協力し仕事をする習慣でした。 その延長で企業でも会社に就職し所属員として集団で活躍する仕組みが出来上がってきた。 そのため組合も企業ごとに作られ従業員の待遇も会社に所属することが前提になってる。 一方で欧米のような狩猟民族や中国の様に領主に使える国民はチャンスやタイミングを逃がさない個人の判断が基本になってる。 狩りはある程度の集団で行うが引き金を引き一瞬は完全に個人の判断です、これを誤ると獲物を逃がす=今夜の飯が無くなる。 領主に使える分配社会では領主が分配する時を逃せば飯にありつけなくなる、だから分配の時は他人を押しのけても受け取らねばならない。 だから企業が発展した現在でもどこで働くはか個人が決めるもの、そのため組合も企業とは関係なく業種単位で成り立ち同じ職種(例えば組立工)ならどの会社に行っても同じ様な給料が得られる、これは逆に考えると給料を上げるためには職種を変えなければならない、だから転職するのです。 この職種で雇われてる事が「他人に使われてる」「会社に仕事を手伝いに行っている」の発想になる。 これを評価することに意味はない、そんな文化の国なのだからそれが当然なのです。 日本人がそう考えなければならないことは無い。 日本人は家に帰れば靴をぬぐ事に何の違和感も感じないし改善しようとも思わない。 中国人は靴を脱がないが「なぜそんな無駄な事をするのか」と言われて悩みますか? 日本では日本の文化、社会風土に合った生活、仕事習慣があるのだからそれに従えば良い。
- sutorama
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誰でも多かれ少なかれあるかとは思いますが「借りてきた言葉」を往々にして、さも自分の言葉のように話せる(皮肉)人が存在します あなたと話していると、何かのビジネス本を読んでいるみたい・・・と、私ならその場で、言ってしまいそうです 価値観の押しつけはどうかとも思いますが、質問者様のケースは女性同士ですから、女性特有のマウントの取り合い(マウンティング)に近いとも感じます 男なら「自分の価値観を勝手に話しているなぁ馬鹿だなこいつ、めんどくさい」ぐらいです