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沖縄の帰属先は何処だったのでしょうか?

沖縄の帰属先は何処だったのでしょうか? 昭和27年の4月28日以降は国連の信託統治下で米国(米軍)が 施政権を持ち昭和47年5月15日まで沖縄を統治しました。 昭和20年8月15日の日本の敗戦から昭和27年4月28日の サンフランシスコ講和条約発効の日まで沖縄はどこの国の帰属だ ったのでしょうか?長年沖縄に住んでいながらその事について全く 判りません。やはり日本国だったのでしょうか?それとも敗戦と 同時に国連信託統治になったのでしょうか?お分かりの方がいらっ しゃいましたらご教授頂けませんでしょうか。並行して自分でも 調べてみます。 どうぞ宜しくお願い致します。

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回答No.2

日本の主権が存在する日本領土です。軍事占領により日本政府の 統治権は大きく制限されていましたが主権は日本に在りました。 日本領土であるから米軍による占領が国際法違反とはならない。 国連の信託統治とは日本の主権を認めた上で統治権だけを国連 が行使するという意味です。沖縄の権限と主権は日本に帰属します。 沖縄返還というのは沖縄の統治権を主権国家に返すという意味です。 単に帰属と表現されていますが国家や領土について考えるときには 主権の帰属、権限の帰属、統治権の帰属というように分けて取り扱う 必要が在ります。

takusi007
質問者

お礼

 戦後の沖縄は引き続き日本国の一部であったがアメリカに統治権をゆだねただけであって主権というのは日本にあったと認識して良い訳なんですね~なるほど大変勉強になりました。昭和27年4月28日以降は正式に日本国が米国に統治権をゆだねたという事になるわけですよね。

その他の回答 (2)

回答No.3

権限と成っているのは権原の間違いでした。訂正します。

回答No.1

沖縄はかつて「琉球王国」として独立していましたね。沖縄王国は、明治政府によって明治5年に琉球藩とされ、1879年には廃藩置県が強制され、日本の一つの地方県にされました。 大東亜戦争の終結によって、日本がポツダム宣言を受け入れたことで「日本と沖縄の関係が消滅した」として、敗戦直後から沖縄の独立問題が持ち上がった事実があります。1945(昭和20)年8月15日、日本はポツダム宣言を受諾して無条件降伏をしました。その領土条項には「日本の領土は本州、北海道、九州及び連合国が定める諸島に限られる」となっているのです。サイパンで印刷された日本語訳のポツダム宣言には、米軍政府の諮問機関をつくるために集められた沖縄の代表者達にも配られました。その中の一人で、後に沖縄民主同盟の代表になる仲宗根源和(なかそね げんわ)氏は、「沖縄の独立」を脳裏に描いたそうです。そして民主同盟は沖縄独立も主張したとか…。日本がポツダム宣言を受諾したことで、明治政府によって強制された「沖縄と日本の関係」が「失効した」という認識に基づくものであろうと思います。昭和27年の4月28日以降、国連信託統治下で米国(米軍)が施政権を持ち昭和47年5月15日まで沖縄を統治されたというのは、質問者様がお書きの通りですが、終戦から信託統治領と決定するまで、私は宙に浮いた状態で何処にも帰属していないと考えております。竹島が韓国からグチャグチャ言われておりますが、あれも当時の沖縄の状態が続いているのをいいことに、半島の連中が不法占拠していると思っています。

takusi007
質問者

お礼

 なるほど「宙」に浮いていたと考えるのが妥当なのかも知れませんね。  知り合いの漁師のお爺さんが「昔は遠くまで漁に出るのは命がけだったョ 銃撃された船もあるって話もあったさ~ 国旗もあげられなかったからね」と言ってました。  これまでこの昭和20年~昭和27年までの沖縄の帰属先がどこだったのか漠然としていてハッキリとした認識をもっていなかったのですが勉強になりました ご回答ありがとうございます。

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