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日露戦争時の電報
司馬遼太郎の「坂の上の雲」を読んでいるのですが、電報という言葉が出てきています。特に電報について司馬もふれてないのですが、指令の送受信はなにかモールス信号のようなものでやり取りしていたのでしょうか。 海戦の描写では旗艦マストの旗で判断しているか、フラッグでやり取りしている描写はありました。このときの海軍も何か電子機器を利用していたのでしょうか。 また秋山好古が遼陽会戦の直前に最前線から手紙を出す描写があるのですが、この手紙というのはどのようにして出していたのでしょうか。何か伝令のようにして司令部にまとめて送りつけていたりしたのでしょうか。 ご存知のかた、ご教示願います。
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- jkpawapuro
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信号旗について。 旗旒信号と手旗信号があります。 旗旒信号旗はいろいろな柄の旗があり旗それぞれに意味があります。またそれと同時にそれぞれの旗がアルファベットになっていますので旗をたくさん並べて単語を送ることもできます。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E9%9A%9B%E4%BF%A1%E5%8F%B7%E6%97%97 あとは旗を一つ独自に割り当て、あらかじめ各艦にその内容を封筒で渡しておいて、その旗が掲げられたら封筒を開けなさいなんてやり方もあります。 手旗信号は数字あるいは文字を一つ一つ送るものです。 文章を送れますが、長くなれば長くなるほど狂いそうですし、手で上げ下げするサイズなので視認性が低く隣の艦までかろうじて伝達できます。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%89%8B%E6%97%97%E4%BF%A1%E5%8F%B7 カナ式は頭痛くなるほどややこしいですね、これで文章をやりとりしたものだからすさまじい練度です。
- SPS700
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#3です。補足です。 >>海戦の描写では旗艦マストの旗で判断しているか、フラッグでやり取りしている描写はありました。 旗は、マストに掲げてアルファベットの文字で、約束の信号とするもの(信号旗)と信号兵がそのときその時の守礼を送る「手旗」とがあります。 日露戦争の海戦で使われた有名な信号旗は「興国の興廃この一戦にあり各員一層奮励努力せよ」に始まる東郷提督の「ゼット旗」です。 https://ja.wikipedia.org/wiki/Z%E6%97%97 これは、1805年イギリスのネルソン提督の信号文「英国は各員がその義務を尽くすことを期待する」 England expects that every man will do his dutyがもとです。 https://matiere.at.webry.info/200511/article_1.html ご質問の「フラッグでやりとりして」いたのは手旗でしょう。これはアルファベットやアイウエオで送るものです。 僕たち海軍から復員したものには、試験の答えを監督の先生の目を盗んで、手旗の代わりに指で教えあったものでした。
- SPS700
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1。指令の送受信はなにかモールス信号のようなものでやり取りしていたのでしょうか。 はい、電報は下記のように明治二年からあります。 https://www.verycard.net/column/other/telegram/03_telegram_history.html 2。海戦の描写では旗艦マストの旗で判断しているか、フラッグでやり取りしている描写はありました。このときの海軍も何か電子機器を利用していたのでしょうか。 はい、下記のように当時世界でも最先端だった「三六式無電機」が使われました。 https://kataribedoujinn.at.webry.info/200905/article_9.html 電文は有名な「敵艦見ゆ」に秋山真之が追加した「本日天気晴朗なれども波高し」を加えて伝えられます。 http://ktymtskz.my.coocan.jp/J/senkan/togo7.htm 3。また秋山好古が遼陽会戦の直前に最前線から手紙を出す描写があるのですが、この手紙というのはどのようにして出していたのでしょうか。 おっしゃる通り伝令によるものです。しかし「司令部にまとめて」送ったのではなく、報告がまとまり次第下記のように何人も次々と送り出したようです。 https://www.heiwakinen.go.jp/shiryokan/heiwa/02onketsu/O_02_127_1.pdf 4。これはどうでもいいことですが、僕は大日本帝国海軍の通信学校におり、1945年に入ったばかりだったので、手旗の他にモールス符号の和文も習いました。 http://jr7ibw.com/CW/sign.html 「い」 伊藤 ・ー (トツー) 「ろ」 路上歩行 ・ー・ー(トツートツー) 「は」 ハーモニカ ー・・・(ツートトト) と言う調子でした。 http://www7.plala.or.jp/ax_ono/ham/cw/wabun.htm
- oska2
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>司馬遼太郎の「坂の上の雲」を読んでいるのです NHKでも、ドラマ化していましたね。 愛媛県松山市には、秋元兄弟の実家が資料館になっています。 >指令の送受信はなにかモールス信号のようなものでやり取りしていたのでしょうか。 目視できない場合は、電信通信です。 ※目視できる場合は、手旗信号と艦に掲げる旗です。 つまり、質問者さまが推測している通り(暗号化された)モールス信号です。 残念ながら、太平洋戦争では暗号は全て米軍が解読していましたがね。^^; >海軍も何か電子機器を利用していたのでしょうか。 明治初期の海軍は、徹底して最新技術を取り込んで実用化しています。 他国の製品は買わない!使わない!行かない!といった、幼稚な行動はしません。 >この手紙というのはどのようにして出していたのでしょうか。 各部隊に所属する「伝令兵」が、手紙を届けます。 戦場でも素早く正確に書類を届けるのが使命ですから、命がけですね。 勝っても負けても、一切名前は残りません。
- eroero4649
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https://togetter.com/li/1230787 こちらにあるように、有線の電信装置は世界中に出回り始めていました。また、無線のモールス信号通信機は日露戦争に遡ること10年前くらいに開発されていました。つまり、無線通信機は当時のハイテク機器だったのです。当然お値段もお高いものですが、日本海軍は惜しみなくこのハイテク機器を導入しました。そしてその電信機を積んだ船がバルチック艦隊の病院船を発見し、その報を無線通信機でいち早く伝えたのです。勝敗はこの時点で半分決まっていたといっていいでしょう。 当時の日本海軍が取り入れたハイテク技術が二つありまして、ひとつがこの無線通信機で、もうひとつが「天気予報」でした。運命の一戦が行われるときに天気がどうであるのかは極めて重要です。当時の日本は台湾や上海、香港にも気象観測員を派遣して東シナ海の天気予報を行ったのです。 あの有名な「本日天気晴朗ナレドモ波高シ」の一文は、天気予報から拝借してきた文になります。 また当時(後に行われる第一次世界大戦まで)は、通信は手紙を持った伝令兵が伝える役割でした。この伝令兵の役目は極めて重要です。戦場の中で単騎で駆け巡り、敵に見つかっても上手く逃げおおせないといけません。伝令兵にとって何より大切なことは「死なないこと」でした。また、出前の途中で友達に野球に誘われたらつい野球をやっちゃったり、道に迷うようなおばかさんには勤まりません。タフな頭と、優れた身体能力が求められます。 この伝令兵の役割はオリンピック競技に取り入れられていまして、「近代五種」といわれる競技がそれなのです。近代五種は、フェンシング、水泳、馬術、射撃、ランの五種類で行われます。これは伝令兵の役割なんですね。馬を華麗に乗りこなし、敵に遭遇したら射撃で難を逃れ、目の前にいる敵はフェンシング(剣術)で斃し、川や運河を泳いで敵の追跡を躱し、走って手紙を伝えるのです。今なら特殊部隊員ですね。 この伝令兵は高い能力が求められますが、命令される立場なので階級はわざと低くされます。そうじゃないと困るじゃないですか。 実は第一次世界大戦でヒトラーがやっていた任務がこの伝令兵だったのです。よく「ヒトラーは伍長止まりだった」と揶揄されますが、それはヒトラーの能力が低かったからではなく、役割的に高い階級になれなかったからです。でもいってみれば特殊部隊員ですから、まあ優れていたというのは否めないと思います。