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信念と信仰の違いについて
ある宗教の信者さんに「結局のところ何を信じてるんですか」と聞いていくと、結局はその宗教を選んだ自分自身(の判断の正しさ)を信じているということに落ち着きました。こうなると信念と変わらないように思うのですが、信仰と信念の違いについて教えてください。
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信仰は、宗教の教義を守ろうとする行為で 教義は、組織の利益のために、信者を洗脳しようとする者が 在りそうな事を羅列したものです。 再現性は微小です。 信念は、科学などの再現性の高い原理に従う行為です。 宗教教義に信念を持つ人と、科学に信念を持つ人は、同様に見えます。 実は、科学も宗教に一種で、アインシュタインなどの偶像崇拝、教義、 儀式、静と動を組み合わせた学習、などが有ります。 科学と既存宗教の違いは、再現性の違いで 科学的であっても、再現性が低ければ宗教になります。 例、ヒアルロン酸を塗ったら若返る。 人間は、"認知的不協和"理論の示す様に 信念が無駄に強くなってしまうので注意が必要ですが 固執して入定したら、もう救えない人間になってしまいます。
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- g27anato
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信仰と信念ねぇ…。 信仰とは宗教が変わらないことかな。 信念とは自分が変わらないことかな。 …そんな気がします。 ま、 理屈次第では何とでも言えると思うけど。
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ご回答ありがとうございました。 正しいと強く確信することで宗教を信ずるならいいのですが、自分の考え(疑いも含めて)が合わなくなっても無理やり信じようとするならそれは信念を失っているのだと思います。信者になってしまった人がどれだけ自分の考え(信念)をつらぬけるかは大いに疑問です。従って、信仰しても信念は失わずにいれば、間違ったと思った時は信仰を捨てることができるのだと思います。故に、信仰を持つのは自由だがそれを選択したのは自分の信念の裏付けがあってのこととし、信仰を続けるのもやめるのも自己責任、即ち、信者仲間や信仰団体とは関係ないという強い信念をもつことが大事だと思います。ところが往々にしてそれは「傲慢だ」とか「自分を捨てきれてない」、「信仰が薄い」などと言われるので、信仰を続けるのは難しいことだとつくづく感じます。
- bakansky
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> こうなると信念と変わらないように思うのですが たとえば下記の辞書を見ると 宗教を信じる気持ち。信仰心。 とあるので、それでも誤用法ではないようです。 https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E4%BF%A1%E5%BF%B5/ 個人的には、「信念」 という語は、上記の辞書にあるように 正しいと信じる自分の考え。 という用法で使う方が普通であるとは思いますけれども、宗教に正しいとか間違いとかの区別をつけるのが間違ってるという 「信念」 をお持ちの方もおられるのではないかとは思います。
お礼
ご回答ありがとうございました。 正しいと強く確信することで宗教を信ずるならいいのですが、自分の考え(疑いも含めて)が合わなくなっても無理やり信じようとするならそれは信念を失っているのだと思います。信者になってしまった人がどれだけ自分の考え(信念)をつらぬけるかは大いに疑問です。従って、信仰しても信念は失わずにいれば、間違ったと思った時は信仰を捨てることができるのだと思います。故に、信仰を持つのは自由だがそれを選択したのは自分の信念の裏付けがあってのこととし、信仰を続けるのもやめるのも自己責任、即ち、信者仲間や信仰団体とは関係ないという強い信念をもつことが大事だと思います。ところが往々にしてそれは「傲慢だ」とか「自分を捨てきれてない」、「信仰が薄い」などと言われるので、信仰を続けるのは難しいことだとつくづく感じます。
お礼
ご回答ありがとうございました。 確かに信念は自分で確かめて再現性があるから経験的に納得したことが積み重なって形成されるもののように思います。 一方、信仰と言えば「鰯の頭も信心から」というように自分でろくに考えずに信じてしまうことがあるようです。中には自分で正しいと確認して入信したという人もいますが、大抵は信仰団体の先輩(宣伝マン)にうまく言いくるめられた方が多いように思います。ましてや、親や信頼できる人が信仰してるから入信したというのでは信念以前の問題で、最近の信者はこの手の人が多いようです。ついでですが、アインシュタインはキリスト教の教義や教会組織には懐疑的だったと聞いていますが、それは深い思索と高い理解力の持ち主であれば当然の帰結でしょう。