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父親失格。
中3の息子は、TVゲーム以外興味のないような生活を送っています。勉強、スポーツ等前向き、建設的な態度が見られません。 自分の気持が父親としての役割(叱る、教える、励ます等)を投げ出したくなっています。(実際、最近会話もない。) 何か良いアドバイスをお願いします。
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アドバイスなどというおこがましいは出来ませんがヒントにでもなれば。 私も息子が高校→浪人→大学→2年間留年とずいぶん悩みました。 でも、今は立ち直って、卒業して、就職して、結婚して、安定しています。 その中から得たことは (1)親と子の価値観は理解しがたいほど違う。子供の人生は子供のものだ。 (2)親の愛は普段、疎ましいが、子供が逆境に立った時有り難みが判る。 (3)愛情を持って突き放す事も必要。 (4)息子のわずかな断片を理解し、ともに共感する時間を持つ。 等です。不謹慎かも知れませんが、恋愛で、「押してもだめなら引いてみな。引いたら相手が追ってくる」といいます。 いい意味で親が本当に子供のことを思い、腹をくくれたとき、また、世間体や、親の欲目を捨てて、子供の真の将来をともに考えようとしたとき、何かが変わるという気がしてなりません。 結局、説教臭くなってしまいました。親が自信を持つことが一番です。
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- miyukai
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すみません、女なんですが思ったことを書かせていただきます。 私は妹が一人いますが、その妹は中学に入った頃から社会人になってしばらくするまで、父親との会話は皆無でした。2人ともお互いに何か言いたいことがある時は 母や私を介していました。ですから、e-toshi54さんのおっしゃるような”父親としての役割”なんてありませんでしたよ。 逆に 私は父親と仲が良かったのですが、中学3年にもなると子供なりに色々な意見を持ってました。父は私に会社での愚痴や新聞で読んだ芸能ネタなどを話してきました。それに対して私が”叱る、教える、励ます”をしていましたね。その頃の私としては そろそろ自分として扱って欲しいんですよね。叱られたり、教えられたり、かなりうざったく思えたりするんです。父は私に対して その辺りを上手くやってくれたと思います。(何故 妹には出来なかったのか不思議ですが。女の子は難しいです(笑)) ”父親としての役割”・・・・・あまり してもらってないです(笑)。してもらってないというより、それが”父親としての役割”とは思いませんでした。もちろん今もです。 勉強でもスポーツでも 親に言われたからといって前向きに取り組める物じゃないですよね。今 やっておかないと後になって後悔するのは自分だよ、というのを伝えておけば その後どうするかは子供一人一人で違うと思います。そのまま見守って、これはまずいと感じた時や、父親として求められた時に、堂々と意見を述べて少しでも助けてあげられたら十分ではないでしょうか?妹は自分が困った時、それに対処してくれた父に”やっぱりお父さんだな”と感じたそうです。もう嫁ぎましたが、それからは普通に会話もあって 妹から相談を持ち掛けることも多々在るようです。 会話がしたいのなら 対父親でない方が息子さんも話しやすいと思います。息子さんが夢中になってるゲームにトライしてみて、解らない所を教えてもらってみてください。自分の得意なことで困っていれば、放っておく人はまずいないでしょ?でも、あまり下手に出すぎないように。断られたら、とりあえず自分でなんとかするくらいの余裕を持って。有給を取って平日にやったりして、”ゲームなんかしてていいのかよ!仕事は?”なんて言ってきたら占めたもの、”ちゃんとしなきゃいけない仕事を片付けたから、思いきりゲームしてるんだ”って言ったら息子さんもドキッとするかもしれませんよ。仕事をきっちりこなして、遊びもほどほどにこなす男の人がそばにいたら、必ず良い刺激を得ますよ。普段は 父親としてよりも 同じ男の先輩として 良い背中を見せてあげれたら素敵だと思います。 まだ子供も小さく、しかも女の私が偉そうに言うのも失礼かと思いますが、かたくなに”父親としての役割”を決めつけて縛られることも無いと思います。長文になりましたが、少しでも気持ちが楽になられたら幸いです。
- babu-tatsutaka
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心中お察しいたします。 私の子供はまだ小さいのですが、じきにe-toshi54さんと同じ境遇になるのでしょうね。 「こんな風に育てた覚えは無い」とか「なぜ言う事を聞かんのだ」とか、息子に対しての親の願望や理想像が、現状のギャップと交差してしまうのでしょうね。 あなたの人生が一生子供のための「父親」となってしまうのも、子供を養った親のサガなのでしょうか? しかし子供の人生があり、親の人生があり、それぞれの生き方があるのですから親は単なる子供に道しるべを示すだけでいいのだと思います。 それを受け入れない・受け入れられない・または教えたくない時期があっても無理はないと思います。 そうしなかった事が親の立場を放棄するわけではないと思いますし、その時の気分で接してくる子供と同じく、親も気分で発言なり沈黙なりがあっても良いでしょう。 「常に親らしく」というのは理想論であり、現実に関与している我々にとってはそうなれない局面も大いにあります。 精神の構造でプラスの時とマイナスの時があるとしたら、マイナスの時に教えを解いても思考は現実化しません。 ちょっと「父親」を休憩してみませんか? 立場を放棄するのではなく、同じ男同士として同僚と接するような気持ちで話してみてもいいのではないでしょうか? 同じラインの視線で語ってみたら、意外と違った「父親」が発見出きるかもしれませんね。 私のような者が回答するのも生意気な話しですが、いずれ経験しうる父親の気持ちになって考えてみました。 参考にしていただければ幸いです。
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