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太平洋戦争の原因は人種差別?

この三個って本当の話ですか? ↓ (質問A) 日本が真珠湾に攻撃をしかけてアメリカと戦争を始めたのは、アメリカの日本人への人種差別がひどくて、それに日本国民が怒ったからというのは本当でしょうか? (質問B) 開戦の詔勅の内容は建前で、天皇陛下もアメリカの人種差別に怒ったから開戦を許可したというのは本当でしょうか? (質問C) 日中戦争はアメリカと戦うための日本の準備戦争にすぎなかったというのは本当でしょうか?

みんなの回答

noname#197378
noname#197378
回答No.11

質問A~B ハルノートを突きつけられたからです。従って人種差別は関係ないです。 質問C 日中戦争は誤りです。理由はどちらも宣戦布告をしておりません。正しくはシナ事変です。シナ事変と対米戦は別モノです。又、シナ事変に目的などありません。従って人種差別は関係ないです。

回答No.10

ゲルマンの民族移動、十字軍、そして大航海時代をへての東洋侵略と制圧の継続が19世紀、20世紀に入っても傾向を更に強め、国際的に日本を逼塞させ、追い詰めたことが戦争の原因であり、契機だと理解しています。 有色民族に対する偏見は今も同じでしょう。

  • lv4u
  • ベストアンサー率27% (1862/6715)
回答No.9

No.8さんの回答にあるように、ほんとに人種差別を問題にするなら、日本は、ナチスドイツとの同盟はできないはずでした。 ただ、日本は、国際連盟で人種差別撤廃を初めて訴えった歴史があるように、人種問題は反対の立場でした。 ちなみに、ナチスの人種差別政策を日本国内に知らせたくないため、「わが闘争」を日本語に翻訳するとき、その人種差別の部分は修正・削除したそうです。 とはいえ、日本と戦争をしたがっていた米国のそんな真意を知らない日本外交は、「ドイツと同盟を結べば、米国もちょとは交渉で譲ってくれるかも?」なんて甘っちょろい判断をしたようです。まあ、快進撃を続けていたナチスドイツを過大評価して「バスに乗り遅れるな!」という意図もありましたけどね。 人種差別反対というよりも、植民地解放っていう主張のほうが、当時の日本が先の戦争を「大東亜戦争」という名で呼んだことからも理解できると思います。 そして、前の大戦を、植民地解放戦争を連想させる「大東亜戦争」ではなく、日本の侵略戦争だと思わせる「太平洋戦争」と呼ばせる理由にもなっています。

  • shirouuda
  • ベストアンサー率17% (14/78)
回答No.8

ウソです。 それが本当なら、敵は 人種差別大国・ナチスドイツであったはずです。 史実ではナチスドイツとは同盟国でしたが。

noname#224207
noname#224207
回答No.7

Colored ,有色人種、WASPという言葉をお聞きになられたことはありませんか。 肌の色の違いで人間を区分する考え方です。 人種差別の一つです。 ネトウヨと呼ばれる人が、韓国や中国の人を毛嫌いするのも人種差別意識の結果です。 アメリカという国家がアフリカ系の方々に選挙権を認めたのは1960年以降です。 第二次世界大戦当時は無論のこと、それまでは選挙権を行使することができませんでした。 現在も、日本人含む有色人種と看做した人に対しては潜在的に差別意識を持っています。 日本人もYellowshと認識されています。 この潜在意識を表面に出すことを厳しく禁じてはいます。 あからさまに表現することは無教養な人間として扱います。 ということで、人種差別意識が直接の原因ではありませんが潜在的な遠因であったとは言えます。 質問のA、Bは開戦理由には該当しません。 質問C、はアメリカとの戦争の準備として戦われていたものではありません。 そこまで深く考えることもなく、中国大陸で戦争行為を続けていただけです。 自分達の行動が国際的にどのように受け取られるかということも考えなかった浅はかな軍人集団の行為の結果です。 戦争というのは、本来は単に外交交渉の手段の一つに過ぎないということを忘れて、戦争をすること事態が目的となってしまった結果です。 正常な国家であれば、戦争を始めると同時に、いかに終わらせるかという最後の姿も同時に決めて、そのための外交交渉を戦闘行為と同時並行で続けます。 このような国際常識が欠落していたために、目先のドンパチに目がくらんで勝った勝ったと言って中国大陸中を引きずり回されて自滅してしまいました。 日本が朝鮮半島や台湾島を併合したときも、満州国を建国したときも、当時としては周到な準備のもとに進められていましたが、何も知らない軍人が戦闘行為を自分達の目的行為にしてしまい国家を破滅させました。 イギリスを初めヨーロッパ諸国は、かつて植民地であった国家とは現在も連邦制度や同盟関係を構築して、自国の国益に役立たせています。 フランスの場合には自国通貨のフランがそのまま通用する国が沢山あります。 英連邦に参加している国の中には、国旗に英国旗のデザインを組み込み、通貨にも英国女王の肖像を使っている国が沢山あります。 いずれも立派な独立国として活躍しています。 この事例だけも、如何に昭和初期の日本の軍人が幼稚だったかご理解いただけるかと思います。 決してアメリカと戦争することを目的とはしていませんでした。

  • titelist1
  • ベストアンサー率25% (712/2750)
回答No.6

日米開戦の火種はもっと古くからあったのです。それは日露戦争の停戦に日本は米国の力を借りたのです。海戦に勝っても日本には戦争継続の経済力が無かったからです。その時に日本政府は戦勝で得られる中国領土を米国と共同管理しようと言う米国要求を呑んだのです。しかし、その後の軍部の台頭で政府は、この密約を反故にしたのです。怒った米国は英国に働きかけて日英同盟を破棄させるのです。その後、日米は外交面でことごとく対立してゆくようになるのです。 日米開戦の原因はヨーロッパにおけるドイツのヒットラーが起こした戦争です。英国からの米国参戦要請を受けるのだが、米国にはモンロー主義という外国に干渉しないというモンロー大統領の国是があったのです。今の憲法9条のようなものです。自国が攻撃されないと戦争ができなかったのです。おりしも、日独伊の三国同盟が出来ると、これを利用して米国はヨーロッパに参戦しようとルーズーベルト大統領は画策したのです。米国経済は不況にあえいでいたからでもあります。 日本に石油を含む経済封鎖を仕掛けたのです。中国に攻め入っていた日本を懲らしめるとの世界の支持もあったのです。石油が無ければ戦車も動きません。戦力も劣る日本は奇襲攻撃をして、その間に東南アジアの石油資源を取ろうと考えたのです。 米国は日本に攻撃され、日本への反撃のみならず日本の同盟国であるドイツとイタリアを攻めたのです。集団的自衛権の拡大解釈です。米国の圧倒的経済力を背景にした軍事力で日独伊は負けたのです。真珠湾攻撃も無線暗号解読で米国は知っていたのです。日本はまんまとはめられたのです。

回答No.5

(質問A) 米国は日本に対して戦争の機会を虎視眈々と狙っていたようです。そしてその理由に黄色人種への人種差別があったことは明らかです。 (1)米国が鉄道網を張り巡らせている時に、大量のシナ人が渡米し永住するようになりました。それ以前にアフリカ系の奴隷が大勢いたのですが、シナ人は勤勉で頭もよく、安い賃金を貯めるようになりました。やがては地元で商売を手がけて成功する者が多数現れました。この点では欧州出身の白人も負けてしまったのです。シナ人の成功を逆恨みした白人達は、シナ人村を襲撃し、大量虐殺に及んだのです。この時、シナ本国では自国民が虐殺されても、意に介しませんでした。 (2)日清戦争後に日本から米国へ移住する人が増えました。その頃は西部開拓も一段落していて、米国内ではフロンティア精神が以前の盛り上がりを失っていました。 日露戦争後、日本の国際的地位が跳ね上がると、欧州の白人世界では日本に対抗する雰囲気がなくなっていきました。日本人はシナ人以上に勤勉で、教育が施されており、職人気質もあったので、商売で成功する人が続出しました。ここで日本に対して敵愾心を持つようになったのです。そこで打ち出されたのが排日移民法です。日本の本国は自国民への虐待に対して黙っていなかったのです。 (質問B) 「人種差別」という大きな括り方をするのは無理があるように思います。前段の最後に書いたように、対日経済封鎖によって、日本は失業者が街に溢れることになったからです。陛下は開戦にはあくまで反対されましたが、最終的には軍部が判断したのです。明治以来、天皇は政治的な決定権は政治家に譲られていました。決定の場面に同席され、ご意見やご質問をされることはあっても、決定権は行使できない仕組みになっていました。平安時代のように、政治の権力を握っていた訳ではありません。 (質問C) 大東亜共栄圏は当時の欧米の敷いていたブロック経済のアジア版ともいえるものです。対米戦の準備というより、目的だったはずです。当時、東南アジアは欧米列強によって次々と植民地化されてしまいました。米国に勝つことで、独立させて、アジアでの経済圏を建設しようとしたのです。たとえ対米戦に勝ったとしても、米国を植民地にする気はありませんでした。シナ、ロシアを植民地にしなかったのと同じです。

  • hekiyu
  • ベストアンサー率32% (7193/21843)
回答No.4

当時の米国は、1930年に続く大不況の真っ只中でした。 GDPは1/2に、株価は1/10に落ち、1200万の失業者が 街に溢れ、あちこちで暴動が発生していました。 ルーズベルトは、ニューデールなどの政策を打ちましたが効果は さっぱりです。 それでどうしても戦争をやる必要があったのです。 戦争は最大の公共事業ですから。その証拠に戦後、米国 経済は見事な復活を遂げています。 これは私の偏見ではありません。 米国歴史学の権威チャールズ・A・ビーアド元コロンビア大教授は 公文書を調べて、ルーズベルトが巧妙に日本を戦争に引きづり込んだ 過程を明らかにした本を出版しましたが、これは事実上の発禁処分 にされてしまいました。 31代米国大統領のフーバーが、ルーズベルトを、日本を無理矢理戦争に 引きづり込んだ狂気の男、と評した書見を残しています。 彼は、ルーズベルトは真珠湾を知っていた、とも書き残しています。 マッカーサーは戦後、あの戦争は日本の自衛戦争であったと 米国議会で証言しています。 ハルノートのハルは、真珠湾攻撃を耳にして躍り上がって 喜んだ、という側近の証言が残っています。 「これで戦争ができる」 また、パル判事は、あのような要求を突きつけられたら モナコのような小国でも銃を持って立ち上がっただろう と述べています。 つまり、イラク戦争をみても判る通り、米国が戦争を望み それに日本が引きずり込まれた、ということです。 (質問A) 日本が真珠湾に攻撃をしかけてアメリカと戦争を始めたのは、アメリカの日本人への 人種差別がひどくて、それに日本国民が怒ったからというのは本当でしょうか?       ↑ 当時、人種差別は当たり前の時代でした。 人種差別が問題になったのは、戦後の1950年頃 からの話です。 それまでは、人種差別はあるのが当然だったのです。 日本国民が怒って戦争を仕掛けたわけではありません。 (質問B) 開戦の詔勅の内容は建前で、天皇陛下もアメリカの人種差別に怒ったから 開戦を許可したというのは本当でしょうか?     ↑ 違います。 どうせやられるなら、先制攻撃、という ことです。 (質問C) 日中戦争はアメリカと戦うための日本の準備戦争にすぎなかった というのは本当でしょうか?    ↑ 日中戦争は、中国が列強だけの手に落ちたら、次は 日本が侵略されるから、として起こしたものです。 日本は、明治維新からず~と、列強の侵略と戦って 来たのです。

  • SPS700
  • ベストアンサー率46% (15297/33016)
回答No.3

(質問A)  日本が真珠湾に攻撃をしかけてアメリカと戦争を始めたのは、アメリカの日本人への人種差別がひどくて、それに日本国民が怒ったからというのは本当でしょうか?    いえ本当ではないと思います。原因は経済的政治的なもので、また「どこを何時」と言ったことも日本国民には知らされていませんでした。 (質問B)  開戦の詔勅の内容は建前で、天皇陛下もアメリカの人種差別に怒ったから開戦を許可したというのは本当でしょうか?     いいえ、これも本当ではありません。 (質問C)日中戦争はアメリカと戦うための日本の準備戦争にすぎなかったというのは本当でしょうか?     これも、事態の推移に従って変わって行ったもので、準備段階が何重にも予め作られていたのではないと思います。    太平洋戦争の原因は、複数あったものと思います。

  • lv4u
  • ベストアンサー率27% (1862/6715)
回答No.2

A:嘘 米国のルーズベルト大統領は、日本が嫌いで、中国が好きでした。それは、中国には多くの宣教師が出向いて布教が進んでいるのに、日本は、米国に媚びることなく、伝統文化を守り、キリスト教文明に同化せず、蛇や石などを拝む未開の国だったから。 だから、大東亜戦争が始まる4年も前から、ルーズベルトは中国の蒋介石に資金と武器を提供し、日本を攻撃するサポートをしていたくらいです。 大東亜戦争の始まる3年前に、国籍不明機(中国軍機と推測されていた)が3機、熊本・宮﨑に飛来して、ビラをまいたことがあったのですが、その機体は、米国製のマーチンB10爆撃機でした。 その爆撃機来は、爆弾投下をする予定だったのだけど、爆弾を積むと、航続距離の問題があり、それで軽いビラだけを搭載していたわけです。 また、日本の真珠湾攻撃よりも5ヶ月前に、ルーズベルトは、米国の航空兵を中国空軍に偽装して、日本本土を爆撃する計画を承認していました。150機の米国製長距離爆撃機と、350機の戦闘機により、奇襲攻撃を実施するはずだったのです。ところが、その計画は、ヨーロッパ戦線、つまりは英国を助ける必要もあって、東京・横浜・大阪・神戸は爆撃されることはありませんでした。これが実施されていたら、真珠湾攻撃は、自衛のための正当な攻撃になり、米国は、卑怯で国際法に反する行為を行ったという汚名を着せられたことでしょう。 振り返れば、当時の日本軍部は、「米国の国力は日本の20倍くらいであり、開戦すれば負ける」ということは理解できていて、絶対に開戦したくないと考えていたわけです。対して、米国は英国のチャーチルの要請もあり、絶対に日本と戦争をする必要があったのです。ですので、ルーズベルトは、何度もの日米外交交渉をしながらも、妥結させず、最後には、絶対に日本が絶対に飲むことができない条件を並べた「ハル・ノート」を突きつけて、日本の攻撃を引き出したわけです。 B:嘘 天皇は最後まで開戦に反対でした。開戦年の9月6日の御前会議で、基本的に発言することのない天皇が異例なことに、明治天皇の作られた句を詠まれて戦争反対の意志を示されました。しばらくは、誰も発言できず、しばらくして永野軍令部総長が以下のように答えられました。 「アメリカの主張に屈服すれば、亡国が必至であるということでありますが、戦うも、また、亡国であるかもしれません。すなわち、戦わざれば亡国必至、戦うも、また亡国を免れないとするならば、戦わずして亡国に委ねることは、身も心も民族にとって、永遠の亡国になりますが、戦って護国の精神に徹するならば、たとえ戦いに勝たずとも、祖国護持の精神がのこって、われわれの子孫は、かならずや再起三起するでありましょう。」 そして、日本は開戦の決意を固めたのでした。 C:嘘 日本も中国も、お互いに宣戦布告はしていませんでした。なので、「日中戦争」ではなく、「日華事変」というのが正しいそうです。 また、満州は、万里の長城の外にあって、歴史的に満族の地であり、中国の一部とは、考えられていませんでした。実際、漢族の立ち入りを禁止していたくらいですのでね。いわば、日本が北朝鮮を攻撃したら、「日本は韓国をいきなり攻撃してきた」といわれるような感じでしょう。 ルーズベルトにより、日本との戦いに米国を引きずり出すための道具として使われたとは言えるでしょう。

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