- ベストアンサー
江戸時代。町人・村人の一人称は。
古文書をちょっと見た限りでは、町人も百姓も「拙者」を使っていたようです。 西鶴や近松などの文芸物は調べていませんが、町人・商人・村人の一人称はだいたい何が多く使われていたのでしょうか。 よろしくお願いします。
- みんなの回答 (2)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
日常的な話し言葉の一人称として何が使われていたか19世紀初めの「浮世風呂」を調べてみました。 おいら・おら・おれ・わし・わたくし・わたし・わっちなど、江戸時代でも終わり方になれば言葉そのものはほとんど現在と変わりません。数えたわけではありませんが、ざっと目を通した印象ではわたし・わたくしが目につきました。社会的地位や職業などにより微妙な違いがあることは現代にも受け継がれています。 ただし、「おれ」「おいら」を男性だけでなく女性も使用していること(これは今でも地方によってはそうでしょうけれど)など細部では現代とは異なります。 なお式亭三馬の代表作であるこの作品は舞台が江戸の銭湯なので、老若男女さまざまな登場人物は町人ですが、田舎から出てきたばかりの下女や上方者など出身地は多様だという設定です。
その他の回答 (1)
- double_triode
- ベストアンサー率26% (520/1997)
回答No.1
「手前」,「われ」,「わし」,「おれ」など。
質問者
お礼
ご回答ありがとうございます。 話し言葉では、そのようですね。
お礼
わざわざ調べて下さって真にありがとうございます。 よく分かりました。 私は、古文書を主に調べてみたのですが、「拙者」「私」が多い感じです。 「私」は、書き言葉でも話し言葉でもかなり使われていた、と言えそうです。 「私」がこんなに使われていたとは思っていませんでしたので、質問した甲斐がありました。