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大阪の十三ってなぜラブホ街になったんですか?
大阪の十三ってなぜラブホ街になったんですか? 十三がラブホテル街道になった歴史を教えて下さい。
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色々な場所の土地が余っていて金の有る人が儲かるかと、一軒建てると 其れにくっ付いて真似をする輩もいて、徐々にラブホテルが出来てきます。 十三に限った事ではなく大阪市内色々な場所にラブホ街と称する場所が 60年以上前から存在します。 戦争未亡人などが生計を立てる為残されたごく普通の家を間貸ししたのが始まり。 当時、(昭和20年代)には今の様なラブホテルは無く普通の家の間貸しでした。 昔は持ち家も少なく(戦前は金持ちでも借家住まいが普通、家を持つているのは華族か財閥の当主)大抵は貸家や間借りなど、一般庶民は夫婦生活も儘ならぬ事情が背景にあったので、非常に重宝がられました。 色街に行く(私の高校生時代)人も多かったのですが、所帯を持ってからそういう場所に出入りできず、夫婦そろって、或いは恋人同士、などが利用したようですね。 一軒建つとその隣にもと広がって行きます。 十三だけではなく兎我野町(梅田)、十三、桜ノ宮、京橋、天王寺、JR難波、生玉、西成など同時進行形で形成されて行きました。 また、昭和33年に所謂花街が禁止され(その後もずっと営業していた)昭和30年代後半だとラブホ以外、喫茶店でそのような機能をもった店も数多く存在し、当時はアベックの天国だったと思います。 普通の貸し屋式のものは徐々に利用者が減り無くなって行きました。 只、昔からの生業で「あいまいや」と称する貸席は今でも存在します。(成り立ちが違う) 話がそれましたが一三だけがそのようになったわけではありません。 徐々になったとしか言いようがないのです。 桜の宮のラブホからの出火で大火災が起き裸で逃げ出したアベックを見に 野次馬が大勢集まり、大騒ぎになった事をつい最近の事の様に覚えてます。 私の高校生時代はある意味で今に比べ天国だったかもしれません。 今でも飛田へ行くと昔の花街そっくりの店が多いよ。見学したら?
お礼
ありがとう