- ベストアンサー
長男たちは家督を継がなかった理由とは?
- 昔の長男は家を出るケースが多かったのでしょうか。
- 日本の発展期だったため、長男たちも家を出ていました。
- 長男たちが家督を継がなかったのは、当時のやり方や伝統の一環と言えるでしょう。
- みんなの回答 (3)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
明治元年が1868年だから明治30年ぐらいの生まれ 15才で明治45年 20才で大正10年 明治初期に身分制度が廃止され 世間に定着した時代。 幕末に官軍側に立った地域の士族は 国家の重要なポストなどにつき その他大勢は廃藩置県により 身分と職業を失った世代。 生きるためにはどうしたらいいかみんな必死になっていた。 士族の商法という言葉も明治初期のことです。 家督をついでも 元士族という看板では食べていけません。 そんな中で お二人ともいい選択をされたのだと思います。
その他の回答 (2)
- tzd78886
- ベストアンサー率15% (2590/17104)
武家はしきたりというか作法を重視したから、安泰の時代になると長子が後継者になることが当然とされた。戦国時代は必ずしもそうではなく、能力が無い長子が後を継ぐと滅びる可能性すらあったから、そうではない例も少なくない。 商家は才能が無い長子に継がせたりしようものならたちまち経営に行き詰る可能性も高く、次子以下であっても才能さえあれば確実に続いて行くからそうした例も多いし、長子が別の道に進むことを選んだために次子が継いだ例もある。言うまでもなく、武家と比べて比較的自由だったからである。
お礼
ありがとうございました。 やはりそうですか。 東京空襲で一切を失い、自分と家族の命だけで立ち直ったのですが、 苦労の多い人生だったのですね。ありがとうございました。
- seble
- ベストアンサー率27% (4041/14683)
たぶん、あなたの家だけの特例でしょう。明治時代に外国船に雇われるなんて自体が異例です。ハイカラさんだったに違いない。明治憲法下では長男にほとんどが相続されましたから、一般には長男がいわゆる家督を継ぐという事になります。
お礼
ありがとうございました。 そうだったのでしょうかね。 東京空襲で一切を失い、自分と家族の命だけで立ち直ったのですが、 苦労の多い人生だったのですね。 ありがとうございました。
お礼
やはりそうですか。 東京空襲で一切を失い、自分と家族の命だけで立ち直ったのですが、 苦労の多い人生だったのですね。 ありがとうございました。