※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:お祈りや勤行って実際的効果があるのでしょうか)
お祈りや勤行の効果とは?
このQ&Aのポイント
お祈りや勤行には実際的な効果があるのか疑問に思われる方もいるかもしれません。
熱心な信仰を持つ人が社会の不正義や権力者の悪事に対して知らん顔をしていいのか、それとも何の活動もしないのか、その関係を考える必要があります。
信仰やお祈りは、代替的な効果を持っているのか、逃げることを許されるのかという問いについても考えることが重要です。
熱心な信仰をしていれば、社会の不正義や権力を持つ人の許せない行動や悪事に対して知らん顔していることが許されるのでしょうか?
日蓮宗の系統である、創価学会や公明党の意見と諸活動に私自身は必ずしもシンパ支持はしていません。まぁ立正佼成会も政治的、社会的活動がありますね。
仏教やキリスト教での熱心な勤行やお祈りをしていれば、社会の不正義や権力を持つ人の許せない行動や悪事に対して何の活動もしないでもいいものでしょうか?
或は換言すれば、勤行や御祈りはそういう活動の効果があるのでしょうか?
つまり信仰やお祈りはそういう代替的効果があるのでしょうか?
逃げることは許されるのでしょうか?
でもイエスは敢えて、十字架に架かる言動をつらぬいたのですよね。
ちょいと関連:ラディカル革新の党派に所属し、或は新聞を購読したりして支持していれば社会の不正義や権力を持つ人の許せない行動や悪事に対して、個人としての生活では何の活動もしないでもいいものでしょうか?
黙過することが許されるのでしょうか?
お礼
ありがとうございました。 他人の偲び難きを偲び、他人の堪え難きを耐え、他人の受け入れ難きを受け入れるようでは仕方ないですね。 眼前の悲惨なこと、黙過できないことは通り過ぎることは信仰する神仏が黙過しないでしょうね。 浅草生まれ育ちの82歳。高校時代は無論、湖人、出隆、阿部次郎など。60年安保では単組大学労組の書記長。10年。 その大学に46年いて15年ほど前に退職。唯物史観でしたが、30代半ばからある出会いでキリスト教を基盤とするyogaの信仰精進。やはり黙過はできません。ラディカル革新の中で活動しています。