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吾唯知足って誰の言葉ですか?
吾唯知足って誰の言葉ですか? 誰が言い始めた言葉なのか教えてください。 ごゆちそくって読むのでしょうか?
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"吾唯知足" とは「吾、ただ足るを知る(ワレタダタルヲシル)」と読み、意味は「私に必要はものは既に満ち足りている(故に何ももう必要無い)」という意味で、その由来は禅宗の教えから来ています。 webで検索すると恐らくは「龍安寺」が真っ先に出て来るかと思いますが、これは龍安寺の石庭内に「知足の蹲踞」と呼ばれる有名な手水鉢があるためです。このため巷には「吾唯知足は龍安寺が由来」と思っている人も居ますが、これは前述の様に元々は「足ることを知る者は貧しいといえども富めり、足ることを知らない者は富めりといえども貧し」という禅宗のみならず仏教の真髄格言をモチーフにしたものです。ですので龍安寺がオリジナルの言葉という訳ではありません。 では最初の出展は何かと問われれば、これは実は正確には分かっておらず、現存する古典などに記されたものの中から文字に記された最古のものは『大般涅槃経』と呼ばれる古代仏教の聖典を漢訳(中国語訳)した『遺教経(ゆいきょうぎょう)』という書物の中に登場します。これを著したのは鳩摩羅什(クマーラジーヴァ)という僧侶で、実は日本人もよく知っている "三蔵法師" と呼ばれる尊称を最初に授けられた人です(『西遊記』の玄奘三蔵法師とは全くの別人で、中国人では無く現在の東トルキスタン出身です)。 この『遺教経』は鳩摩羅什が生きていた紀元350年~410年くらいの間に記されたものだと思われますので、その翻訳元となった『大般涅槃経』はそれよりもずっと前に成立編纂されたものであると考えられます。ただしこの成立時期などははっきりとは分かっておらず研究者間でも色んな説がありまちまちです。またその性格上から恐らくは1人の執筆者によって書かれたものでは無く、当時に既に存在した様々な宗派の経典や知識人哲学者などの思想を取捨選択して取りまとめられたものであろう事は想像に難くないので、明確に「彼の言葉」だと言える証拠や歴史書の様なものは存在していません。 従って質問者が求める「吾唯知足とは誰の言葉なのか?」という問には「現在のところ歴史的資料等に裏付けられた原典などは無く、従って誰の言葉かは分からない」というのが回答になります。 P.S. 古代中国の思想家である老子の言葉に "知足者富 強行者有志 (足るを知る者は富み、強めて行なう者は志有り)" という言葉があります。 老子が著したとされる『老子道徳経』の中の『老子』の第三十三章の中に… 知人者智 自知者明 勝人者力 自勝者強 知足者富 強行者志有 死而不亡者寿 不失其所者久 ~と在り、大まかな意味は前述の「足るを知る」と同義ですが、その他にも色々な人生の心構えについて述べています。 老子は実在の人物である事は恐らく間違い無いと思われますが、今以て正確な生没年が不詳の謎の人物でもあります。そのため老子の言葉が語源であるとするのは些か心苦しい部分がありますが…しかしながら老子についての言及が初めてなされたのは、前段で述べた鳩摩羅什よりもさらに前のあの三国志などでも有名な歴史家の司馬遷が紀元前100年頃に著した『史記』の中の「老子韓非列伝」と呼ばれる部分に記述があります。 この事から少なくとも古代中国では老子なる人物の存在が紀元前100年頃には既に知識人などの間では認知されていた事になるので、それよりも300年以上も経てから記された『遺教経』などに影響を与えていても不思議ではありません。なのでこれを以って「"吾唯知足" の原典は老子の "知足者富" が由来」と言えなくも無いのですが…既に述べました通り、老子はかなり謎が多く伝説化神格化された部分もかなり多いので、前述の老子の言葉とされる "知足者富 強行者志有" も必ずしも老子が本当に言った言葉かどうかは疑問符が残ります。 なので現時点ではやはり「分からない」が正確な回答という事になりますが…まあ、そこまで厳密な正確性を求めないのであれば、老子が出展であると解釈しても良いのかもしれません。
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- nekosuke16
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続、検索すればいい。
吾唯知足を検索すればいいだけの話
お礼
ありがとう御座います