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江戸時代家に残る書類
先祖代々の当主の通称氏名、嫁さんの名前を羅列したものは、なんという書類ですか? 武士の家に多く残る書類みたいです
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No.4です 補足を頂戴しました。 ご意見がありましたので補足説明させて下さい。 >親の実家は郷士ですが、江戸時代中期から藩が来て何をきっかけか、わかりませんが、勤めることになり、その時に由緒書みたいな書類が必要になったんですかね 藩庁に勤められるのに当たって藩が所有していた藩士の名簿のようなものに登録されていなかったので書付けを出してくれというこになったのかと思います。 キリシタンではないことを証明させるために町人や百姓は菩提寺が管理していた宗旨人別改帳に登録されていました。 現在の戸籍簿のようなものでした。 旅行などの際に道中手形というパスポートのようなものを所持することが義務付けられていてこれを菩提寺が発行していました。 武士の場合は藩庁が管理していました。 郷士だったとのことですが宗旨人別改帳では百姓として扱われていました。 藩庁に勤めるのに当たり百姓を藩士とする訳にはいきませんので武士として藩庁の名簿に新たに記載されたのかと思います。 これをハッキリさせておきませんと万が一浪人した場合にヤヤコシイことになりました。 武士であることが証明されないと百姓、町人と同じ扱いになり時には刑罰も違ってきました。 有名なのが新撰組の近藤勇です。 百姓身分の郷士だったことから板橋で処刑される際に切腹ではなく斬首されました。 >家系図は、なぜないのかが疑問ですけどね 家系図を特に作成する義務はありませんでした。 おそらく面倒なので作られていなかったのではないかと思います。 >それと郷士ですから格は高くないですね 。 家譜を取り寄せるなど手間暇かけて藩庁が採用していますので、おそらくご先祖様は有能だったのだろうと思われます。 武士階級というのは藩の人口の3~5%程度でしたのでご先祖様が勤めるようになった以降は立派な家格でした。 郷士とは別な扱いがされていたものと思われます。 町人が財力で手に入れた形式的な苗字帯刀とは格段の差があります。
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- ichikawa2017
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>なんという書類ですか? 由緒書(ゆいしょがき)あるいは家譜(かふ)と呼ばれていました。 家系図には女性は単に女とのみ記載されていますが、家譜はご指摘のように女性も名前が記載されていました。 >武士の家に多く残る書類みたいです。 江戸時代の中期に幕府が全大名に提出させたのが始まりでした。 『寛政重修諸家譜』と呼ばれています。 平和な江戸時代には家の格が重要視されていました。 結婚や養子縁組も当人同士のものとはされずに家同士が婚姻関係を結ぶものと考えられていました。 現在でも披露宴会場などの案内に○○家△△家披露宴などと書かれているのはこの名残です。 この際に家格の違いは将来トラブルの基になるとして避けられていました。 この家格を証明する書付けが家譜でした。 当人の母方の姻戚に家格の高い家があることが往々にしてありました。 又当人の姉妹が家格の違う家へ嫁いでいる場合もありました。 つまり女性を無視することが出来ませんでした。 武士の社会というのは大名家に仕えることで成り立っていました。 現在の官僚の世界と同じように大名家内での地位(序列)が重要でした。 地位の多くが世襲でした。 婚姻関係次第ではこの世襲の序列に入ることも可能でした。 現在でも大手企業などでは縁故採用と呼ばれるものがあります。 この為に逆に家格が低い一族が入り込むことは極力避けられていました。
補足
親の実家は郷士ですが、江戸時代中期から藩が来て何をきっかけか、わかりませんが、勤めることになり、その時に由緒書みたいな書類が必要になったんですかね、書類はないと思ってましたが、残されていて代々のご先祖、嫁さんの名前など以外にも、ご先祖の経歴(身の周りの出来事等含め)が書かれていて、言い伝えらてきたということです 家系図は、なぜないのかが疑問ですけどね それと郷士ですから格は高くないですね
- oska2
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>先祖代々の当主の通称氏名、嫁さんの名前を羅列したものは、なんという書類ですか? 「家計図でない!」と言う事ですから・・・。 一般的に言う「家系譜」ですかね。 同様に、ご先祖の由来などを書いた「過去帳」の可能性があります。 現在では過去帳は「死者の系図」を意味しますが、武家の世界では「ご先祖様の家計・由来」を記した書類となります。 多くの有名武将などは、これら過去帳を参考に「出生・由来を捏造して、家計図を作成」しています。 有名なのが、徳川家康ですね。 寺(院・庵)を持たない生臭坊主が、松平家に居候。 居候先の娘とねんごろになって、息子をもうける。 とんとん拍子で、松平家に入り婿になった。 その数代後が、松平家康です。 その後、何故か家康の時代に「源氏の関係者が出生元」になっています。^^;
補足
過去帳はお寺のほうでないと言われてるそうです。火事があったらしく、その時に過去帳も消失してしまったのかもしれないです 家系図がないなら由緒書、親類書とも思いました、ご先祖様の名前の他に暮らしぶりも書いてあるそうですから
- hue2011
- ベストアンサー率38% (2801/7250)
家譜と呼んだりしますけど家系図ですね。
補足
親が言うには家系図はない、言うんですが、家系図ですよね。先祖書は嫁さんの名前は書かないと思うので、違いますし
- stss08n
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●※ 家庭の代々家系図 ※
補足
親がいうには家系図ではないみたいです でも嫁さんの名前まで多くの人が書かなかったみたいですね
補足
もう一つ気になるのが、藩勤めしてるのに農村に住み続けたという点、お墓も農村にあります。藩で働く武士って城下町に住んでいて、仕事も忙しい印象です