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Partition and Oppression in Upper Silesia
- Partition of the region led to oppression and migration
- Saar plebiscite and preference for the Nazi regime
- Compromises and frustrations with military terms
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>Once the region ~ migrating to Poland. Despite the oppression and migration, Opole* Silesia "remained ethnically mixed. ⇒ひとたびその地域が分割されると、抑圧によって「ドイツとポーランドの両方が上シレジアの自分の分け前を『浄化』しようとした」。その結果、ドイツ人はドイツに、ポーランド人はポーランドへ移住した。抑圧と移住にもかかわらず、オポレ*・シレジアは「民族的に混在していた」。 *Opole「オポレ(市)」:ポーランド南部の都市。 >Frank Russell wrote ~ border into France. ⇒フランク・ラッセルは、ザール国民投票に関しては住民が「世論調査(の結果)に恐怖を感じていない」とし、「ドイツ全体主義〔ナチ〕体制」はほとんどのザール州住民にとって不快ではなく、能率的、経済的、好意的な国際ルールよりもそれを好んだ」と書いた。投票の結果が判明したとき、4,100人(以前ドイツを逃れた800人の難民を含む)の住民が国境を越えてフランスに逃げた。 >Military terms and violations During the formulation ~ any potential enemy. ⇒軍事条項と違反(行為) 条約の策定中に、英国はドイツに対して徴兵を廃止し、軍隊のボランティア(志願制)を維持することを許可した。フランスは、同様の軍事力の維持を正当化するために、ドイツに最大20万人の兵士を擁護することを望んだ。かくして、条約では志願兵数10万人というところが英仏間の立場上の妥協点となった。一方、ドイツはその条件を潜在的な敵に対して無防備にさせられる(も同然)と見た。 >Bernadotte Everly Schmitt ~ have correspondingly diminished." ⇒ベルナドッテ・エヴェリー・シュミットはこう書いた。「連合国政府が条約第V部の始めに…すべての国家の全般的な軍縮を促進するためには、最初にドイツが武装解除する必要があると述べたとき、彼ら(連合国政府)が不誠実であったと信じる理由はない」。米国による条約批准、国際連盟への参加が欠けたことは、フランスが武装解除を望まないことにつながり、その結果、ドイツは再軍備をする気にならなかった。シュミットは、「連合国の4か国が統一されたままでいると、ドイツに本当の武装解除を強いる可能性があり、条約の他の条項に抵抗するドイツの意思と能力は相応して減少するだろう」と主張した。 >Max Hantke and ~ Reichsmarks per year. ⇒マックス・ハンケとマーク・スポエラーは、1933年以前の条約の「軍事や経済の歴史家たちは、ドイツ軍が限界をごくわずかしか超えていないことを発見した」と書いている〔注236〕。アダム・トゥーズはこれに同意し、「これを視野に入れるために、ワイマール共和国による年間の軍事費支出は数十億ならぬ数億ライヒマルクと算定された」と書いた。例えば、ワイマール共和国の1931年の4億8千万ライヒマルク計画は5年間にわたり、ナチス政府の1933年の年間44億ライヒマルク消費の計画と比較して肩を並べた、と。 >P.M.H. Bell argued ~ of the V-2 rocket. ⇒英国政府は、後者のワイマールが再軍備していることに気づいたが、彼らに反対しないことでドイツの努力に対して公共的敬意を払っている、とP.M.H.ベルは主張した。ノーマン・デイヴィスは、軍事制限の「好奇心をもった監視」は、「禁止された武器のリストにロケットは含まれていない」とし、このことがヴェルンハー・フォン・ブラウンに調査対象地域を提供し、その範囲で最終的にV-2型ロケットの開発につながり、「1943年に起った彼のブレーク(打開?)」が結果した。 ※この段落は全体的に意味がよく分かりません。それで、誤訳があるかも知れませんが、その節はどうぞ悪しからず。
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