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日常生活における掛け算的と足し算的判断など・・・
数学が得意な人はこういう区別をしているでしょうか。順序を変えると結果が全く違ってしまう場合など数学的能力が役に立つのでしょうか。
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純粋な「数学」とは違うかもしれませんが、ニュース(放送・新聞)などの現場では昔から「取材は足し算・制作・送出は掛け算」と言われてきました。 これはどういうことかと言えば、例えば大きな事件があって数十人が一斉に情報取材に走った場合、そのほとんどが空振りでも、この中の一人でも優れた情報が取れればいいニュースを出稿できる(特ダネが書ける)ということです。一人100点ならば、残り99人が0点でも足せば和は100点だからです。(もちろんこれはたとえ話であって、実際には1人が優れた情報を入手できれば、これをきっかけに残りの大勢も裏付け取材や関連取材に走ることはいうまでもありません) しかし、このニュース原稿を視聴者や読者に伝える段階では事情が異なります。出稿された原稿を受け取ってから最後までのどこか一つの段階で重大なミスがあれば、最終的には著しく悪い結果となります。一人が0点ならば、残りの99人が100点でもかければ積は0点になってしまうからです。放送でいえば、たった1か所の読み間違いや字幕の書き誤り、たった1回のスイッチングミスで、せっかくの特ダネニュースが台無しになってしまう場合もあるということです。 純粋な数学とはいえないかもしれませんが、こうした「数学的な考え方」はニュースの分野に限らず、仕事の品質管理に役立つと感じています。
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- hue2011
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数学的能力というより、ものの見方、です。 たとえばOCRというのがありますね。文字認識機能です。 手書きの書類をキカイに読ませて、電子文書にするというものです。 これを開発するほうはどういう考え方をするかというと「割り算」です。 認識できる模範文字パタンが何千個か用意されていて、ある1文字を正しい認識する割合はどの程度だと考えます。 かりにいろいろな書き方の字体で1000回書かれた文字を認識してみたら正解は995回あったとします。 このときに「認識度99.5%」とか「信頼度99.5%」というんです。この数字は間違いでないとしても、使い物になりますか、というのがユーザー側の見方です。 ユーザー側の見方は「掛け算」です。 1文字の信頼度が99.5%だとするのは認めるとして、文字が100文字あったら信頼度はいくつでしょうか。 0.995×0.995×0.995××0.995×0.995×0.995×0.995・・・ と100回掛けると、0.608になります。つまり信頼度60%です。 こんなものが使いものになりますか。いったん文字に翻訳したものを見返して4割直さなければならないくらいだったら、100文字ぐらいならタイプしたほうが早いでしょう。 メーカー側は、1文字あたり6割の認識率だなんて言ってませんからうそじゃないです。しかし使い物になりません。 こういう、ごまかしとかペテンの手法を、特に営業的な場ではいろいろ使われるのです。例えば癌の生存率なんていうのを、手術後5分で確認したら100%になるに決まってます。神の水とかキノコのエキスでも同じやり方で1日後生存率を掲示したら、あたかも利いているように見せられます。 陸上の100メートル走で10.02という数字があったとして、9秒台に行かないといったら何の価値も感じない言い方になります。だけど、女子カーメリタ・ジータの記録は10.06であって引き算をして0.04差でこれより早いと言えば言えます。 ボルトの記録9.98秒と比較しても0.04差です。つまり引き算をするとびっくり度は減るんです。 つまり、どういう条件でどういう論理で導き出したのかを評価できる考え方、能力が要求されるのです。 足し算だから間違っているとか引き算だから正しいなんて言うことじゃありません。 要するに、自分の都合の良い意思決定につなぐために、数字を使うのです。
お礼
自分に都合が良い結論を引き出す目的で数学的能力が役に立つということでしょうか。
- g27anato
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確かに「どうして?」という場面で数学的思考回路が働く人は、正しい答に辿り着くのが早いようです。 質問例のような、足し算と掛け算の順序が違えば出て来る答も違うという事が、 イチイチ考えなくても、ごく当たり前に思考の初期段階で判断の前提として働いてます。 普通の人なら「そんな事は誰だって考えれば分かる」と思うのですが、 数学が得意な人にとっては「考えなくても分かりきった事」というように、 無意識というか、自動的に考え方の方向性を定めてしまう場合が多いです。 普通の人なら悩んだり迷ったりして判断に要する無駄な時間を、数学的思考の応用で効率的に省くことが上手です。 ただ、経験や知識の積み重ねで物事を感覚的に捉える人と比べた場合、 感覚的に捉える人は知識の中に答がある場合も多く、そんな時は簡単に答を見つけてしまいます。 数学的に考える人は物事を順序立てて考えるため、答を出すのに多少の時間を要するようです。 要は身に付いた能力を活かせる場面が人それぞれに違うので、 数学が得意な人は数学的能力が役に立つことがあるでしょうし、 誰もが人それぞれに違う能力を持っているので、その持ち合わせた能力がそれぞれ違う場面で役立つ筈ですから、 質問のような「数学が得意~云々」という、数学能力に限定した考え方は無用だろうと思います。 回答として言い方を変えるなら、 …数学が得意な人がそういう区別もできないようでは、せっかくの能力も宝の持ち腐れと言われてしまうのではないでしょうか。
お礼
その能力が身についているかどうかというようなことでしょうか。
- Dr_Hyper
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一見役に立たないと思われるような勉強がふと役に立つ事がありますよね。 数学が得意かどうかはあるかもしれませんが,習ったことがあるか,勉強したことがあるかだけでも大きな違いがあると思います。美術でも,理科でも,人間関係に役に立つ事だってあるでしょうし,先生の雑談が人生を左右するような発言をさせてくれることもあると思いますからね。
お礼
案外教わったことを忘れて自分が考えたように思っているものもたくさんありますね。
お礼
なるほど、実によくわかる例ですね。取り組んでいる課題が、うまくいかないときなどにも参考になりますね。電池の直列と並列の違いが連想されます。また植物でも一本の鶴だけを伸ばすものと根元から多数の茎を生ずるものとの生態の違いも思い浮かびました んあるmsるほど