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艦長や司令官が一緒に沈むのはどこ発祥ですか?

イギリスのフィリップス提督とか、日本の山口多聞少将とか、 艦が沈む時、艦と運命を共にする人がいますが、これはどこ発祥なのでしょうか? また、現代でもありますか?

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  • kuzuhan
  • ベストアンサー率57% (1585/2775)
回答No.3

古くからの慣習なので「いつから」というのは定かではありません。 まず、艦長・船長というのは、艦船における最高責任者になります。 軍艦を含め「船」は、水上に浮かぶ密室と言って差し支えがなく、何らかの事故が発生した場合は、最終的に艦長・船長が責任を負うことになります。 そのため、艦長・船長は「最終離船の義務」に従って、乗員乗客を離船させた後に離船することが求められます。最も、最終離船の義務とは艦長・船長の心得のようなものであるため、何かに明文化されているものではありません。 自らの意志で残ることもあれば、最終離船の義務に従って結果的に命を落とすことになったこともあります。イギリスのプリンス・オブ・ウェールズのフィリップス提督・リーチ艦長は運命を共にするために残ったわけではないと言われています。キリスト教は自決行為を認めませんし。 日本海軍において「艦と運命を共にする」のは、最終責任者である艦長が「天皇陛下からお預かりした艦を沈めてしまうことに対する責任を取った」といえます。日本人的な責任の取り方といいますか・・・。 そのほか、自らが残って死を選ぶケースには、艦長・船長に重過失がある場合(死をもって償うという考え方)、艦船を失うことが死に繋がったり、重い罰則を科せられるような場合が考えられます。 第二次世界大戦以前から、艦長・船長が船と運命を共にするということはあります。かの有名な豪華客船・タイタニックの船長であるエドワード・ジョン・スミスも自ら船に残って共に海に沈んでいます。(タイタニック沈没事故は1912年、日本では大正元年) 第二次世界大戦後だと、日本では最終離船が船員法で定められていたため、1970年ごろまで「法律によって」船長が離船できずに亡くなったと言える事例があります(船員法は後に改正されて、最終離船規定は無くなっています)。ほかにはナホトカ号重油流出事故(1997年)で、救助を拒否したバレリー船長が亡くなっている事例があります。

gurennnisomaru
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その他の回答 (2)

  • bapematt
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回答No.2

漁船の船長が始まりでしょ。 漁船の船長=所有者だったから、そうなっただけ。

gurennnisomaru
質問者

お礼

ありがとうございます

  • tzd78886
  • ベストアンサー率15% (2590/17104)
回答No.1

昔は救命ボートなどありませんでしたから、せいぜい自力で泳ぐか浮遊物にしがみつくくらいでいずれにしてもほとんど助かりませんでした。無事に到着できないことで多くの負債を抱えることになってしまうので、その責任をとるという形はヨーロッパ発祥でしょう。大航海時代だと思われます。 今は船舶保険がありますし、韓国やイタリアの客船みたいに真っ先に逃げ出す船長までいる始末で、サラリーマン化して何の責任も負いませんから、そんなものはありません。

gurennnisomaru
質問者

お礼

ありがとうございます

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