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LG(ホモセクシュアル)は《 趣味》ではないのか

 LG(ホモ・セクシュアル)は 《趣味みたいなもの》ではないのだろうか?  1. ヘテロ・セクシュアルに前提を成す生殖に無縁の性的指向が 趣味・嗜好でないとしたら 何であるのか?  2. ▲ R.キャンベル:「ここにいるよ」と言えない社会 ~~~  August 12, 2018  https://robertcampbell.jp/blog_top/  3.  衆院議員が性的指向や性自認のことを「趣味みたいなもの」と言うのを聞いて笑ってしまった。  4. 習い事のように何かのきっかけで始めたり、途中でやめたりできるもののように聞こえたから。  5. 当事者からすると、むしろ生を貫く芯みたいなものだと捉える人が多いに違いありません。  6. 言語にたとえるとどうでしょう。母語と同じように特段意識はしなくても、他者との交流の中で自然と芽生え、育ち、人間としてのポテンシャルを深めてくれる資質の一つであると私自身は見ています。  7. 言葉と違うのは、外国語のように学習してまるで違う文化に身を投じることはできない、という点でしょうか。  ~~~~~~~~~~~~~~  8. LGBなる性的指向は 《4.習い事のように何かのきっかけで始めたり、途中でやめたりできるもののよう》ではないのでしょうか? 単純な問いです。  9. 《5.むしろ生を貫く芯みたいなもの》としたとき けれども《趣味》についてもそれをわが人生の根幹として生きているという人は いくらでもいるのではないだろうか?   9-1. あえて例を挙げませんが 趣味を仕事にし得た場合などは 特にそうだと思われます。  10. 《母語》のように自然に身についたもので個人にとっても社会にとっても一般的であって有益で欠かせないもの・・・なのか LGBは?  10-1. 特殊性・少数事例として その人間たる存在や人格は とうとぶのが きわめてふつうのことであるが 一般的に自然で有益な欠かせないものであるか?  11. (7)は 意味がよく分かりません。どなたか解釈・解説してくれませんか?   11-1. 母語であろうが外国語であろうと 言葉でたとえることは 同じなように思えるのですが。  12. LGBの人が 社会の中で《「ここにいるよ」と言えない》としたら それは どういうことか?   12-1. 端的に言って《趣味以上のことだと思っているから》ではないのか? 社会環境ゆえと言うより おのれの心情や思想ゆえではないのか?  13. 趣味・嗜好なら そのジャンルの中で個々の趣味が互いに《多様性》を成しそれがとうとばれる。それでおしまいだ。  13-1. 人格はとうとぶが その趣味については 互いに好き嫌いがあるのは ふつうであり何の問題もないはずだ。  14. ヘテロ・セクシュアルは――生殖という点において―― 趣味の問題ではあり得ない。  15. 人間性をなんだと思っているのか? それとも 生殖も受精の操作に過ぎない・それが ふつうの人間性だということなのだろうか?

みんなの回答

回答No.3

>何もその趣味やその当事者の人たちを《オミットする》ことは ありません。あり得ません。そんなことは言っていません。この点です。 「 10. 《母語》のように自然に身についたもので個人にとっても社会にとっても一般的であって有益で欠かせないもの・・・なのか LGBは?」について、「欠かせないもの・・・なのか」とあるので、まず欠くことの無意味さを指摘したまでです。 その次に有益さについて、有益であり得ることを女性の激減という仮定で説明しました。 > ☆ そうですね。兄弟姉妹のうちホモ・セクシュアルの兄ないし弟がいると その姉妹の側で 生殖能力が増すということでしょうか。 これについては兄弟がホモ・セクシュアルであると姉妹がそうなる、というのではなく、兄弟がホモ・セクシュアルの場合の姉妹の調査で生殖能力が他の女性より高いことが検証されたということでして、兄弟がいない女性でも同性愛遺伝子を保持していれば生殖能力が高いのでしょう。 同じゲイ遺伝子が男児には同性愛として、女児には生殖能力の強化として発現するということです。 > ☆ この《何らかの事情による危機状態》を見越して 人類は 出産能力の高い女性を温存しようとする。そのために その兄弟の側に同性愛指向が現われるのだと。 見越してかどうかは分かりませんが、そのように働くことが期待できるのですから有益ではあり得るでしょう、という意味です。

bragelonne
質問者

お礼

 ご回答をありがとうございます。  26. まだ科学的知見を検索していません。習熟度がたいへん低いのでその勉強を措いておいて 恥づかしながら素人のままで応答しています。  27. 《オミット》問題は 念のために触れたものです。  あなたが そのことをわたしに対して咎めているということではなく そうではなく 人によってそういう読み方をするおそれがあるかと思ってのことでした。  28. その上で敢えてやはり触れますが――例によってトンデモ発想ですが―― LGBを欠いた社会の状態は 考えられないということでしょうか?   29. 言いかえると LGBの存在からその理由を科学的に割り出した・・・のであって それをやがて欠くことにならないとも限らない。という可能性が有り得ます。欠いても ヒトという種が成り立ってゆく可能性をシャットアウトしたわけではないような・・・。  30. ★ その次に有益さについて、有益であり得ることを女性の激減という仮定で説明しました。  ☆ この《女性の激減》という仮定が 必ずしも腑に落ちません。ならばその時には 生殖能力の高い女性も全体の割り合いに相応して激減しているのではないでしょうか? いづれにしても 残った男と女たちでまかなって行くしかないように思われます。    ★ ~~~~~~~  これ(☆ 引用を省略しました)については兄弟がホモ・セクシュアルであると姉妹がそうなる、というのではなく、兄弟がホモ・セクシュアルの場合の姉妹の調査で生殖能力が他の女性より高いことが検証されたということでして、兄弟がいない女性でも同性愛遺伝子を保持していれば生殖能力が高いのでしょう。  ~~~~~~~~~  ☆ 31. L つまり女のホモセクシュアルについては 有益性や欠かせなさが 確定していないように見えますが? そうだとしたら L は趣味の問題である可能性があります。  32. 同性愛遺伝子ではないヘテロ・セクシュアル遺伝子を持った女性は 数の上で圧倒的に多いわけで その中には 家族計画で出産を抑えている場合があります。そういった事情は 考慮された上で統計がなされていましょうか?  33. つまり 異性愛遺伝子の女性の中には 同性愛遺伝子の女性と同じくらい生殖能力の高い者が 全体に占める率ではかなわなくても 絶対数では やはり同じくらいいるのではないかという問いは 無意味でしょうか?  ★ 同じゲイ遺伝子が男児には同性愛として、女児には生殖能力の強化として発現するということです。  ☆34. ここでも(28)(29)の見方があたまを擡(もた)げます。   35. すなわち じんるいがヘテロ・セクシュアル遺伝子(および人の意志と心)にもとづきツイ関係をいとなんでいたところ ふと意志の自由度にもとづき――光も曲がるように――意志が曲がった。つまり ホモ・セクシュアルなるツイ関係を求めることが起きた。そのゲイ遺伝子の登場の結果 《男児には同性愛として、女児には生殖能力の強化として発現する》ことが起きた。・・・こういう推測です。  36. すなわち ゲイ遺伝子の存在は 女児の生殖能力を平均より高めるという結果は 種の保存なるチカラ(?)の現われではあるが 欠かせないもの・なくてはならないものであるという命題を 一義的にみちびくものではない。という思弁があり得ませんか? (このように言うと まさしく《オミット問題》そのものではないかと批難の雨あられになりかねませんが 思考実験のみです)。  37. なお (35)(36)は 次の見方と同じです。  ☆☆(No.1お礼欄) (く) 最初には自分の心が(つまり 同じく身が そこにおけるヤマシサ反応のようなものとして)ホモなるツイ関係を嫌がっていたりしたとき このヤマシサ反応にさからって その同性の者を性的指向としてえらんだ・・・その結果として 脳細胞もそのような嗜好ないし意志の志向に沿って変えられ作られて行ったのかも知れません。  38. 問題は LGBなる性的指向が 種の保存なる或る種の法則の根幹をそれとして担っているのか? ではないでしょうか。  (根幹ではなかったとしても オミットするのではなく 趣味の問題として全体の中に受け容れられています)。  39. 自由意志ないし 意志の自由の許容する正負の自由度をめぐって――つまり へそ曲がりを負の自由度として捉えるのですが この――へそ曲がりがマイノリティとして存在することによって 社会はその人間の自由を問い求める過程で 自然で有益な欠かせない要素要因となっている。  40. この自由の追求という意味では マイノリティは 社会の根幹にとって有益な一部を形成している。と同時に そのマイノリティ(必ずしも少数ではない場合もあり得ます)の具体的な有り方としては 趣味の問題としてえらばれ現象している。絵は好きだが 音楽は嫌いだとか。ゴッホは好きだが ピカソは大嫌いだとか。或る人は LGB・・・なる指向をそれぞれ好む。

回答No.2

趣味というのが習い事や信念といった後天的な獲得によるものということを言ってるなら、同性愛は先天的(遺伝的)な要因によるものだということが染色体レベルの研究で明らかにされているようです。 また異性間での性交様行為は人間のみならず自然界の多様な生物に多数の事例が検証されています。 これは遺伝的な理由で個体がそのような性向を持つようなのですが、この同性愛遺伝子とでもいうような性質は同じ遺伝子を持つ片方の性での発現が同性愛指向であるのに対して別の性においては生殖能力の強化という形で発現するという研究報告があります。 例えば親の世代がこの遺伝子のキャリアだったとして、その男児が同性愛者であるとき他方で女児の生殖能力が高いという関係が見られたということです。 つまり同性愛遺伝子は、特定の性別での発現が子孫を残さないとしても別側の性別では平均より多数の子孫を残すということですから、この遺伝子自体は種にとってマイナスに作用しているとはいえません。 「一般的に自然で有益な欠かせないものであるか?」という問いがありますが、上記の例でいうと、何らかの事情で集団の女性が激減した場合などに女性の一人あたりの出産能力が向上するならば、雄性の個体の生殖能力が犠牲にされてもそのことは集団の存続に有益に働くと考えられます。 従ってそのような遺伝的性質が多様性として保存されていることは有益だといえるでしょう。 また、例えば男性においては同性愛を発現し子孫を残さないが女性においては逆に多数の子孫を残すという形質をもたらす遺伝子であれば、この遺伝による同性愛男性を社会からオミットしたところで将来においてこの同性愛遺伝子を減らすことには繋がらないこともお分かりでしょう。 科学的にいって同性愛者をオミットすることに種としての有益性はないということになりますね。

bragelonne
質問者

お礼

 ご回答をありがとうございます。  もしよろしかったら No.1へのお礼欄のコメントを見てみてください。  ご回答内容について 全体として捉えて 二点 お応えするかたちを採りたいと思います。  ひとつは ホモ・セクシュアル〔なるツイ(対)関係〕が 仮りに趣味の問題であると規定したとしても 何もその趣味やその当事者の人たちを《オミットする》ことは ありません。あり得ません。そんなことは言っていません。この点です。  (話の説明として そういうオミットする事態がもしあるとしたら それは 遺伝子についての知見に照らせば 間違いである。と言うために例示しているだけかも知れませんが)。  その生物学の知見ですが まづ次のように要約されています。:  ☆☆(趣旨説明欄) 10. 《母語》のように自然に身についたもので個人にとっても社会にとっても一般的であって有益で欠かせないもの・・・なのか LGBは?  ★ つまり同性愛遺伝子は、特定の性別での発現が子孫を残さないとしても別側の性別では平均より多数の子孫を残すということですから、この遺伝子自体は種にとってマイナスに作用しているとはいえません。  ☆ そうですね。兄弟姉妹のうちホモ・セクシュアルの兄ないし弟がいると その姉妹の側で 生殖能力が増すということでしょうか。  ★ 何らかの事情で集団の女性が激減した場合などに女性の一人あたりの出産能力が向上するならば、雄性の個体の生殖能力が犠牲にされてもそのことは集団の存続に有益に働くと考えられます。  ☆ この《何らかの事情による危機状態》を見越して 人類は 出産能力の高い女性を温存しようとする。そのために その兄弟の側に同性愛指向が現われるのだと。  さて このようにおそわった知見をそのまま受け容れるならば まづこの知識は はやく普及させる必要があるでしょうね。  わたしはこの点 無知ですし特にしらべもしませんでしたが 疑問が起きるとすれば 次の一点でしょうね。  ・ 女性の生殖能力が ふつう一般の女性とそして同性愛の兄弟を持つ姉妹なる女性とで 危機のときに救世主のごとく振る舞うことになるような女性が欠かせないというほどカテゴリカルな差があるのでしょうか? と。

  • Dr_Hyper
  • ベストアンサー率41% (2483/6032)
回答No.1

あくまでも生物学的に淡々と書くと,体が男で,男性が好き。 この場合で良くあるケースが,体の発生は遺伝子の性決定にそってなされたけれど,脳の発達過程で脳が女性の脳になった。少なくとも性的嗜好が女性になったために男性が好き。これを聞けば,趣味だ。とか母国語だとか,例えようとしてことごとく的を射てないのがよくわかるでしょ。別になんの不思議も無いわけです。脳が恋愛をするのだから,女性の脳は男性に惹かれている。ただ性的指向のなかにはその更に中間やどちらにも偏らなかったと言う場合もあります。 当然子供を産んだり,そういったことは体の方の問題で,この嗜好の問題には含まれません。脳がそうやって育ったのだから仕方が無いことで理解できない方がおかしいというのが実は生物学的には単純な答えなのです。 むしろ,あなたの行番号と思考の錯綜を読み解く方が難しくまた混乱します。 まあこれは趣味,嗜好で,ちゃんと読めるように直せと強制力があるところから力が加われば普通になるのでしょうけど,性的な嗜好は文字では好き嫌いのようなものですが,脳の分化における違いで,個々に違うのは当たり前の事なのです。

bragelonne
質問者

お礼

 ご回答をありがとうございます。  ★ あくまでも生物学的に淡々と書くと,体が男で,男性が好き。  16.☆ この場合は 《生物学的に》が何を意味するかが 問われるでしょうね。    ★ この場合で良くあるケースが,体の発生は遺伝子の性決定にそってなされたけれど,脳の発達過程で脳が女性の脳になった。  17.☆ やや突飛な思考実験をしますが エデンの園かあるいはすでにそこを追われたあとかのいづれかの最初に 仮りにヘテロとホモのふたつの性交のかたちがあったとします。  18. その結果 ヘテロなるツイ(対)関係からは 子が生まれて来た。ホモなるツイ関係からは それがない。したがって 単純に両者を分類するなら:  (あ) ヘテロなるツイ関係:性交と生殖とが――前提として――同時一体である。  (い) ホモなるツイ関係:性交のみである。生殖とは無縁である。  19. すなわち やはり単純に捉えるなら:  (う) 染色体が男で脳が女だという場合にしても・その反対の場合にしても 生殖とは無縁な性交を内容とするツイ関係は その人の気分や好みの問題として そのかたちが選ばれる。と言える。  (え) 出産の可能性を持つヘテロ・ツイ関係は その生殖行為によって類《人類)を成す。つまり そこで連れ合いをえらぶときに いかに恣意的な好みがあったにせよ・そして自覚していないにせよ 類的存在として生きることになる。(子がなくても・結婚していなくてもである)。  ★ 少なくとも性的嗜好が女性になったために男性が好き。これを聞けば,趣味だ。とか母国語だとか,例えようとしてことごとく的を射てないのがよくわかるでしょ。別になんの不思議も無いわけです。脳が恋愛をするのだから,女性の脳は男性に惹かれている。ただ性的指向のなかにはその更に中間やどちらにも偏らなかったと言う場合もあります。  20.☆ ここでいちばんの問題は:   (お) このホモ・ツイ関係であっても――もしそうなら――《脳細胞のはたらき》としては やはり男と女という異性間のヘテロ・ツイ関係を指向(志向)しているということです。それなのに 子孫への――類的な――つながりとは無縁だということです。  (か) もしそうではなく からだも脳細胞も男で性的指向としても男をえらぶというのなら ますます類的な内容にもとづくツイ関係から離れます。いよいよ 趣味の問題だとなります。  (き) ちなみに ヘテロ・ツイ関係では からだと脳とは・あるいは身と心とは ふつうに自然に一体です。    ★ 当然子供を産んだり,そういったことは体の方の問題で,この嗜好の問題には含まれません。  21.☆ 《この嗜好の問題》と呼ぶものが 趣味の問題だと言おうとしています。  ★ 脳がそうやって育ったのだから仕方が無いことで理解できない方がおかしいというのが実は生物学的には単純な答えなのです。  22.☆ そういう《嗜好・趣味》の問題だと考えられます。そしてそれは――推測によるだけですが――:   (く) 最初には自分の心が(つまり 同じく身が そこにおけるヤマシサ反応のようなものとして)ホモなるツイ関係を嫌がっていたりしたとき このヤマシサ反応にさからって その同性の者を性的指向としてえらんだ・・・その結果として 脳細胞もそのような嗜好ないし意志の志向に沿って変えられ作られて行ったのかも知れません。  ★ むしろ,あなたの行番号と思考の錯綜を読み解く方が難しくまた混乱します。  23.☆ さあ どうでしょう。  ★ まあこれは趣味,嗜好で,ちゃんと読めるように直せと強制力があるところから力が加われば普通になるのでしょうけど,性的な嗜好は文字では好き嫌いのようなものですが,脳の分化における違いで,個々に違うのは当たり前の事なのです。  24.☆ そうですね。生まれつきそなわった脳のはたらきが ホモなるツイ関係を指向するのだと。  (け) 生殖とは無縁な性的指向にもとづくツイ関係であっても――つまり 類としての存在を目指すのが ヒトなる動物の自然の性質であると思われるとき その自然本性にさからった生殖無縁の非・類的ツイ関係であっても―― 類の中に部分的にはふくんでいることが 《生物学的に》よい・・・ということなのでしょうか?  25. でも それならやはり 《趣味》の問題に帰着しますね。つまり:  (こ) ホモ・ツイ関係は ヘテロ・ツイ関係と互いに同じ種類に属すとは言えず したがって互いに《多様性》を構成するとも言えるものではない。  (さ) すなわち ヘテロ・ツイ関係は 類的存在として社会生活の基礎を築き土台となっている。しかるに ホモ・ツイ関係は生活基礎の上部にあって――それとしての文化を築くとさえ言うばあいがあるようですが―― 人びとの趣味の問題として成り立っている。

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