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人類はいつから脳によって思考すると気づいていたか
素朴な疑問です。 「頭が良い/悪い」「脳みそが足りない」など脳に関する慣用句は沢山ありますが、 いつの時代から人類は脳で考えていると意識していたのでしょうか? 大昔の哲学では心のありかを心臓などと考え、今も無意識に信じられていたりもするそうですが 心と脳とはしばし別と考えられたりもし、そういう議論があったこともまた脳が知性や生命活動の要と認知されていた事の裏づけである気もします。 人間は頭で行動している事を前提とした慣用句が使われ出したのは、一体いつの時代からなんでしょうか?またそれ以前から人間はその事を認知していたのでしょうか?
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- hue2011
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古代ギリシャ時代にはすでにそういう認識はありました。ヒポクラテスも話題にしているくらいです。 ちなみに心の話じゃなく、思考の話です。それと記憶の話です。 頭に重大な怪我をした人間に起こる障害を観察し、どうも頭蓋骨の中にものを考える機能があるようだ、という推測です。計算が(当時の計算がどういうものだったかよくわかりませんが)できなくなったり、ものの名前が判断つかなくなったり、脈絡のつかない行動をするようになったりするからです。知っているはずのことがわからなくなったりもするし、どうしても思い出せなくなるというのも観察できましたから、どうも記憶は脳にあるようだ、と判断したようにも見えます。 脳というのは、どう見ても非常に重要な臓器に見えます。だから何の役をしているのだろう、は昔から考えられていたのでしょう。 当然この時代より大分前から、男は外で狩をするような行動をしていますから、野獣に角で突かれて頭に穴が開いてるけど、生きている人間というのもあったわけです。あるいは格闘技みたいなことをしているとき、あたまに障害が出るとおかしくなることがわかっていましたから、ルールとして頭を攻撃しないようにというようなものが存在していたのです。 中世以降、心と思考がごっちゃになって、心が脳にあるというような思い込みが結構あったのですが、さすがに最近、それは間違いで心は脳にはないというのが明確になりました。皮膚感覚、快感、欲求などが重なりあうのが心ですから、身体全部が心の巣だという推論が主流になったのです。
- eroero4649
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http://actor-dynamics.com/archives/2755 ごちゃごちゃと説明するより、このページを読んでいただいたほうが早いと思います。 「心は心臓にある説」は結構あちこちにありまして、緊張すると心臓がドキドキしますでしょ。だから「心と心臓は一体なんだなあ」と思ったのです。「心臓」という名前そのものがそれを現わしていますよね。デカルトがいうように「我思う。ゆえに我あり」だと、AIも我思ってしまうのでAIも自我があるということになってしまいます。 ちなみに「我々の精神がどこにあるのか」というのは哲学的にはまだ結論が出ていません。医学的には「脳にある」っていうことになるのですが、脳のなにが我々の「精神」を形成しているのかというのは分からないのです。
お礼
ありがとうございます。 長らく脳という部位は今の認識より軽視されてきたんですね。心というざっくりしたものがどこにあるのか、大昔では今のような感覚は無く当てずっぽうだったということでしょうかね。
- kaitara1
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頭部に大きな外傷があると意識を失い何もできなくなるということで気がついていたのは太古ではないでしょうか。
お礼
それに気づいたり、認識を共有することはあっても、より深く考えるようになってからは心臓に答えを見出したりしたりしている事を見ると答えから遠ざかる事もあったようですね。
お礼
頭を攻撃しない、というルールは当たり前のようで確かに重要な意味を持ちますね。 脳の働きがわかってからもなお、心の在り処を求める宝探しは長らく続いているというのは、人間は人間の事ですら最初から理解しているわけではないんですね。