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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:心からの争いと武装からの解放)
心からの争いと武装からの解放
このQ&Aのポイント
- 心穏やかにやっていける理想の社会は現実的ではない。
- 争いが存在し、人々は武装して自己を守らねばならない。
- 知能的、精神的、人脈的な武装が必要である。
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質問者が選んだベストアンサー
始めはとりあえず思い浮かぶ事を書いていくのもいいですが、考えるというならば賛否両論を論理的に吟味すべきだと思うのですよ。例えば「Aである」と思って書いたら「Aまたは非Aである」とする。こうすれば形式的に恒真なので。あるいは次のようにも考えられます。 「現実→残酷」の対偶は「非残酷→非現実」つまり「現実は残酷だ」というのは「残酷でなければ現実でない」という主張と同じことであり、残酷でない現実を論理世界から排除していることになる。そのような論理世界という前提「残酷なだけの現実」ではそりゃ武装もし争いもするだろう。暴力の悪循環から決して逃れることは出来ない。なので言ってる事は大体正しい。けれども本当の正義を示すこともできないし自分や周囲を守ることも出来ないだろう。 真理は「現実は残酷または非残酷だ」であり、残酷な面もあれば残酷でない面もあるのが現実。なので残酷でない現実を論理世界として考えれば、いわゆる非武装不戦の理想世界観になる。本当の正義はここで示され、この世界において自分たちは守られると考えるべきだろう。 現実には論理世界は別でも生きている世界はおなじ。それで理想世界に生きている非武装不戦の人が残酷世界の加害者の暴力の被害者となる事も起きる。ただこの場合でも非武装不戦の理想世界の人は加害者とはならない。この善悪のコントラストが強く人の心を打つのだけれども、本当の正義がここで示されたことに気づくより悼み憐れみとか脅威や憎悪というような感情に流される。
その他の回答 (1)
- goosemax
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回答No.1
理想的なのはごもっともかもしれない。 しかし現実は残酷だ。 だから皆、武装し争うしかない 過程がありません、つまりただの思い込みです。
質問者
お礼
話しが飛びすぎてるということでしょうか?ご指摘ありがとうございます。
お礼
論理を用いた丁寧な考察、非常に参考になります。 また、「現実は残酷または非残酷だ」というご指摘も印象的。 加えて最後の文、正義がどうなのかといった話以前に、人は感情がまず先になるという事実、非常に重要だと思いました。ありがとうございます。