• 締切済み

日本民族は本来姑息なんでしょうか?

先のW杯日本ポーランド戦での終盤10分の日本チームの戦い方に関し、海外の賛否両論とあったので見てみましたら、圧倒的に否定する意見が多く載っていました。 https://www.nikkansports.com/soccer/russia2018/news/201806290000675.html 先ず、日本人は「姑息」な行動を嫌います。先に舛添知事が「姑息々々」の大合唱を受けて遂には辞任を余儀なくされました。姑息な行動を殊更嫌うのは、裏を返せば姑息な人が多いということになります(心理学的に)。 武蔵が小次郎に勝つために、わざと約束の時間を遅らせて行った。こういうことは西洋の騎士道ではアンフェアにはならないのですか? 私のイメージでは西洋人は、果敢に敵に向かって行く、たとえ生死に関わることでもフェアプレーでやる。西部劇の映画などを見ていてそう思いました。 勿論一概には言えないのでしょうが、もし、ここに取り上げられている海外の論調が実際の割合を示しているとするなら、日本人は姑息ということになると思います。 西洋の騎士道や日本の武士道に知見のある方、比べてみて違いはどうですか? 会田雄次さんの「日本人の意識構造」によると、日本軍は敵の背後に回って攻撃するとか、夜陰に乗じるというのが好きだったようですね。て言うか、それ以外しなかったようですね。出来るだけ客観的に述べて下さったら助かります。余りに主観的な意見だと、その分を差し引いて理解しないといけませんからシンドイです。 宜しくお願い致します。

みんなの回答

回答No.11

あなたはサッカーを知りませんね… 日本のあのパス回し戦術は海外のサッカーでは当たり前のようにやってます 日本では逆にあまりやらない戦術なので世界のサッカーを知らないにわかファンとか周りは批判してるだけです

  • D-Gabacho
  • ベストアンサー率64% (1057/1649)
回答No.10

理想とか原理・原則に反することに対して、日本人のほうが西洋人より寛容だとは思います。歴史上、日本では宗教戦争がごく一部の例外的な事例しかないのに対し、ヨーロッパではずっと宗教戦争に明け暮れていたのは、その精神性の違いを良く表していると思います。 たとえば、逆にフェアプレーポイントの差で敗退したのが日本で、姑息なボール回しで決勝トーナメントに進出したのがセネガルだったとしたら、日本人の反応はどうだったでしょうか?もちろんセネガルのプレーを批判する意見も多いでしょうが、おそらく、「ルールなんだからしょうがない」「日本が弱かったから敗退したというだけのこと」といった意見の人も、少なからずいると思います。ましてや、誤審やルール違反でもないのに「日本にペナルティを与えよ」と抗議しているセネガルのように、日本サッカー協会がFIFAに抗議するなんてことは、まずあり得ないでしょう。

  • mare5646
  • ベストアンサー率23% (108/451)
回答No.9

元日本代表の監督だった人達皆が「あれは正しい判断だった」と言っているのだから問題ありません。 ルールに基づいてのプレーですから姑息ではありません、ポーランドの方が一勝を守りたいが為にたった2,3人でボールをダラダラ追いかけている方が滑稽でした。 見当違いの民族主義的発言は控えましょう。

0123gokudo
質問者

お礼

書き忘れました。 >ルールに基づいてのプレーですから イギリスからはFIFAのルールすら変える必要が提起されています。 物事はもっともっと大きな視点から考えましょう。

0123gokudo
質問者

補足

回答ありがとうございます。 見当違いは私よりも貴方の方だと思います。 その理由を示します。 海外の論調で賛成派は英紙サンを除いて全員は元監督とか選手とか、実際にプレーしていた人たちです。彼らは当事者として戦った人達ですから、何が何でも、つまり姑息であろうとアンフェアであろうとルール違反でさえなければ勝ちたいと言う気持ちを持った筈です。しかし、それは周囲の大部分の観客の意見ではないワケです。そこを先ず区別する必要があります。 私は客観的なことを知るのを信条にしていますので、民族主義発言と決めつけるのは見当違いです。 ポーランド選手のやる気のなさに、ポーランド人自身からもキツイ批判が出ています。それはそうですからポーランド選手は甘んじて批判を受け入れるべきでしょう。しかし、日本チームに批判が聞かれないのが不思議なんです。 わざわざ歴史カテで質問しているのは、日本民族の姑息性の歴史や背景を知りたいからです。個々の試合の評価には興味はありません。間違わないで下さい。 もし、私の補足の意味を理解されたのであれば再度回答下さい。そうでなければ不要ですので宜しくお願いします。

回答No.8

日本人の中には,何か 諦念や諦感 諦観 というものがあるのでしょうか‥‥そして,それを 美徳の一つとしているのかもしれません..ポーランドの男性選手より,体格や威力などで,明らかに劣っている日本人男性選手の動きは,確かに,悪く,守りに入っていたということでしょうか‥‥‥ポーランド選手側に,点を入れられ,日本人男性選手側は,何か諦めてしまったのかもしれません..日本人男性は,やはり,大人しく,草食系ということなのでしょうか‥‥‥?ウルグアイのスアレス選手ですか,外国人選手には,相手側に,噛みつく選手などもいるようですから‥‥‥‥

0123gokudo
質問者

お礼

回答ありがとうございます。

  • fujic-1990
  • ベストアンサー率55% (4505/8062)
回答No.7

 私はサッカーは興味がないのでどうでも良く、潔く全力で戦って、散るなら散ってほしかったと思う側ですが、「姑息」というのは、「一時の間に合わせ。その場のがれ」という意味です(広辞苑)です。  ワールドカップでの消極的な作戦は、その場しのぎではなく、利害得失を一生懸命考えた結果採用した決断らしいので、明らかに「姑息」ではないですね。  大昔、トルコあたりのだまし討ち例として「トロイの木馬」は有名ですし、宗教上の理由で安息日には戦わないのを利用して、安息日に攻めて国を滅ぼしたケースもあったそうですし、元寇では、日本がルールに則って「やあやあわれこそは、○○天皇×代の後裔・・・ 」などと名乗りを上げる最中に元と朝鮮軍は集団で攻撃してきたそうです。  近くは、ソ連は不可侵条約(守るという約束)を一方的に破棄して、参戦し(西欧の国々がソ連の参戦=約束違反=をそそのかしたという話)、こん日に到るまで占領中です。  また、オリンピックで日本が勝ちすぎると西欧有利にルールが変わる、という話も耳にします。彼らのいうフェアプレーはそういうことです。  その手の話は、もう耳にタコができているくらい、たくさん聞いていますよ。  「坊主のウソを方便といい、武士のウソを戦略という」というくらい、古今東西、ウソの名前は違っても、戦争にウソは付きものです。  とりわけ今回の消極作戦は、西欧が決めたルールに則ったものです。ファンが「面白くなかった」という不満をぶつけるのはかまいませんが、非難は当たりません。  日本人の作戦は、まっすぐ、「直截」的。純朴です。気づかないうちに、いつのまにか特定地域・海域を自分の領土にする民族に比べて、はるかに純朴、愚直です。  目的(今回は決勝トーナメントに出る)に向かって、馬車馬のように突き進むしか能のない民族です。  サッカーを良く知らない私としては、もう少し賢く、素人の目を欺くくらいの「攻めているふり」くらいはできたんじゃないか、と思うきょうこの頃です。

0123gokudo
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 西洋と一まとめには出来ないのでしょう。戦争の時や征服の時は、どの民族もあっと驚くようなズルい、アンフェアなことをやって来ました。 私が不思議なのは、そうでありながら、イギリス人やアメリカ人の持つフェアプレーの精神が両立しているのが不思議でならないのです。一方でインデアンをアンフェアに殺しながら、自分たちの殺し合いには「殺しのルール」でフェアに殺せと言ってる。スポーツにフェアプレーをうるさく言うのも西洋人です。 貴兄の全体の論調から、貴兄は日本民族を評価従っている気持ちを感じました。 >日本人の作戦は、まっすぐ、「直截」的。純朴です。気づかないうちに、いつのまにか特定地域・海域を自分の領土にする民族に比べて、はるかに純朴、愚直です。 しかし、私の知見では、日本民族は他の民族に勝るとも劣らず、智謀に長けています。ずる賢いです。先の会田雄次氏の著作を読んだり、アイヌ民族の和人による征服過程などを知れば、貴兄の主張が真実でないということが納得出来ると思います。

  • staratras
  • ベストアンサー率41% (1498/3648)
回答No.6

いくら世界的なビッグイベントであるサッカーワールドカップとはいえ、一スポーツの監督の判断から「日本民族は…」と話を広げるのは?です。 そもそも「姑息」とは、(「姑」はしばらく、「息」はやむ・それでいいという意味)一時の間に合わせ、その場限りの意味ですが、日本の歴史を振り返っても、難題に直面したとき古代から現在まで姑息な対応ですませた事例もあれば、そうでなく根本的な対応を行った事例もあり、一般化することは困難です。 ただ共通して言えるのは、ある対応が「姑息」であったか否かはしばらく時間が経過しないと判明しないということです。その場しのぎの対応に見えたものにも二通りあり、本当に事態の悪化を招いただけの不適切な対応の場合もあれば、逆に実は事態の改善を待つ賢明な対応であったことがわかった事例もあります。 今回のワールドカップでも、日本代表チームの決勝トーナメントでの活躍次第で、あの対応に対する評価も変わるでしょう。回答者の個人的な考えでは、あの対応は難題に対する一つの判断であろうと考えますので、別に批判も称賛もしません。そのような判断もあり得るだろうと考えるだけです。 ただあいまいな方針を示したのではなく、はっきりと行うべきことを選手に指示したことについては、リーダーとしてあるべき姿で立派だと思います。 中学校の体育の時間に初めてサッカーの試合をしたとき、(ゴールキーパー以外)手を使ってはいけないとか、相手を掴んではいけないなどというほかの反則は、その必要性がわかりましたが、「オフサイド」という反則だけは、なぜ必要なのか理解できませんでした。劣勢に立たされていたチームがカウンター攻撃に出る際にこの反則に取られることが多く、奇襲攻撃がフェアではないとは考えづらかったからです。ご質問を拝見してなぜか、中学生時代(今から50年前に日本がオリンピックのサッカーで銅メダルを取ったころ)のことを思い出しました。

0123gokudo
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 「姑息」という言葉を使ったので、皆さんそれに拘っておられますが、アンフェアとか果敢に正面突破とか、そのような言葉で言い表しても良かったと思っています。姑息という字義のみに囚われておれば議論範囲、回答できる範囲が狭くなってしまいます。 国単位や個々の事例では、反例もいっぱいあると思いますが、全体的な肌で感じた感覚では、西洋人はフェアプレーを好む気持ちが多民族よりは強いと感じています。BBCでしたか、自己の運命を他者に委ねるという選択を信じられないと驚きと共に批判してましたが、この批判は私の胸にグサリと刺さりましたね。

回答No.5

ご指摘の日刊スポーツの記事では賛成というか肯定的な評価をしているのは関係者です。 否定的というか非難している多くはマスコミの記者です。 中にポーランドのサッカー関係者がいますが、ポーランドチーム自体が勝っている状態を維持するために日本チームと同じように時間切れを待つ戦略を採っていました。 この点はご指摘の記事の中で元ポーランド代表のルバンスキ氏が「最後の10分間はひどかった。(ポーランド代表にも)がっかりした」としています。 観客として面白味がない試合で終わったことは事実です。 非難している連中はどちらが勝っても負けても関係がないつまり試合に責任がない連中です。 試合が面白いか面白くないかだけが興味の対象です。 言うなれば古代ローマで剣闘士と呼ばれる奴隷が命がけで殺し合いをするのを楽しんでいるのと同じ精神状態です。 これに対して試合をしている監督や選手は勝ち進む責任があります。 場合によっては選手生命がかかっています。 試合時間が限られているスポーツでは時間切れを待つやり方はごく普通のやり方です。 今回は負けている日本チームが目立つ動きでやったために話題になっただけです。 日本民族がどうの姑息がどうのなどというのとは無関係です。 >日本人は「姑息」な行動を嫌います とは言い切れないのではありませんでしょうか。 「いじめ」などは姑息そのものではありませんか。 東日本大震災以降原発の設置に当たり地震学者の責任が問われるようになりました。 それまでは平気で東南海地震の予知をしていましたが責任が問われるようになった途端に精密測定が必用となる兆候が観測されたら発表すると言い方をかえました。 参考 南海トラフ地震に関連する情報の種類と発表条件 - 気象庁 www.data.jma.go.jp/svd/eqev/data/nteq/info_criterion.html 責任が問われなければ予知をして問われるようになると予知を止めるというのは姑息ではありませんでしょうか。 >こういうことは西洋の騎士道ではアンフェアにはならないのですか? 騎士道なる机上の理想論の範囲で考えればアンフェアということになるかとは思います。 >西洋人は、果敢に敵に向かって行く、たとえ生死に関わることでもフェアプレーでやる。西部劇の映画などを見ていてそう思いました。 映画やお芝居のお話ではそうではあっても実際にそのように振る舞った武将は洋の東西を問わずいません。 前後の見境もなく突進するのは猪武者として軽蔑されていました。 ご指摘のサーカーの試合でも選手達自身は当初は訳が分からなかったようです。 監督からの指示である以上相手サイトに踏み込まないようにしていました。 選手生命がかかっていますのでフェアプレーだの姑息だのということとは別次元で冷静に自分の行動を抑えていたようです。 観客の為にプレーしているのではなくチームとして勝つ為にプレーしていただけだということです。 決勝リーグに進まなければ優勝できません。 優勝するにはこの時点でどのようにプレーすればいいかということだけを考えていたということです。 要するに目先の勝ち負けに目がくらんで突進する猪武者ではなかったということです。 蛇足 >武蔵が小次郎に勝つために、わざと約束の時間を遅らせて行った 吉川英治が小説の中で面白おかしく作り上げたお話です。 史実は不明です。 百歩譲って武蔵が小次郎よりも後にきましたが遅刻したいた訳ではありません。 江戸時代以前は時間は現在のように点で理解されていたのではなく巾で理解されていました。 時間単位の刻は現在で言えばおよそ2時間の巾です。 野外では人間の感覚に頼っていましたので、現代のおよそ2時間以内に到着していれば遅刻とは考えませんでした。 論語だの騎士道だの武士道だのという机上の理想論は世界中にありますが実態はありません。 論語も孔子が宰相の座につきたくて中国中を歩き回っていたときに述べた為政者の理想論です。 孔子に面談したどこの王も孔子を宰相として採用しませんでした。 つまり机上の理想論などで人間社会が成り立っていない以上理想論では統治などできないということを実際に統治していた国王は知っていたためです。 日本でも江戸幕府は湯島の聖堂での朱子学の教育は認めていましたが幕府の教育機関とはしませんでした。 明治に入って新渡戸稲造が書いた「武士道」のもとになった佐賀藩の「葉隠」も内容が不穏当であるとして佐賀の奇書とされ出版が禁止されていました。 そもそも江戸時代には武士道などという言葉自体がありませんでした。 新渡戸稲造が言い出した武士道というのはあくまでも明治時代の人間が描いた理想像です。

0123gokudo
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 諸点で納得できない決めつけもされていますが、納得できる箇所だけを取り入れさせて頂きます。 >試合が面白いか面白くないかだけが興味の対象です。 今流行りの「選手ファースト」なんでしょうか、余りに観客を軽んじています。奴隷と猛獣を戦わせることに賛成する観衆は現在いるでしょうか?そういう例を持ってきて、観衆の質の低さを信じ込ませ、強調しようとするモノの言い方は悪質ですよ。

  • eroero4649
  • ベストアンサー率32% (11074/34518)
回答No.4

>武蔵が小次郎に勝つために、わざと約束の時間を遅らせて行った。こういうことは西洋の騎士道ではアンフェアにはならないのですか? 日本の武士道でもそれはアンフェアとされていますよ。宮本武蔵という人は理想主義者ではなく現実主義者であることは「五輪書」を読めば明らかです。武蔵の考え方を一言でいえば「斬り合いは、勝てばいい。殺されたやつからクレームはつかない」です。 >私のイメージでは西洋人は、果敢に敵に向かって行く、たとえ生死に関わることでもフェアプレーでやる。西部劇の映画などを見ていてそう思いました。 1898年、アメリカとスペインの間で米西戦争というのが起きました。これはアメリカが宣戦布告した戦争ですが原因となったのが、アメリカ軍の戦艦が爆発事故を起こしたことでした。これをアメリカ政府は「スペインの仕業」と宣伝して国民は激高、戦争となったのですが爆発の原因は分かっていません。ひとつだけ明らかなのは、どうもスペインの仕業ではないだろうということです。 1964年、北ベトナムの魚雷艇がアメリカ軍の駆逐艦を攻撃したことをきっかけに、アメリカはベトナム戦争に深く介入してゆくことになりました。この介入のきっかけになった攻撃をトンキン湾事件といいます。 最近、このトンキン湾事件はCIAの捏造であったことが公けになりました。以前から捏造疑惑はあったのですが、これは公式に捏造であることがはっきりしました。 1989年、湾岸危機が発生しました。イラクがクウェートに侵攻したのです。アメリカはイラクのフセイン大統領を激しく非難、後に湾岸戦争となりました。 湾岸危機前、フセイン大統領は駐イラクのアメリカ大使を呼んでクウェートへの軍事行動を考えているが、アメリカはどう思うかとまあいってみればお伺いをたてました。アメリカはイランと対立していたので、イラン・イラク戦争をしていたフセイン大統領を当時は支持していたのです。当然アメリカが反対すればフセイン大統領は自重する考えでしたが、アメリカ大使の反応は意外にも「アメリカは干渉しない」というものでした。それでフセイン大統領はアメリカ政府の内諾をとったと思って行動したら、アメリカ政府に手の平返しをされたのです。 更にその湾岸危機の最中、アメリカ議会でクウェートから命からがら逃げてきたという少女が証言に立ちました。彼女は泣きながら自宅に押し入ったイラク兵が目の前で幼い弟を殺したと訴えたのです。この証言の模様が全米に中継されていたためアメリカ国民は「フセインを倒せ!」と一気に戦争の機運になったのです。 ところがその議会で証言した少女は在米クウェート大使の娘であり、イラクがクウェートに侵攻したときにはそもそもアメリカに住んでいたことが発覚しました。が、それはアメリカ国内ではほとんど報じられず、世論の機運は戦争へとなったのです。 2003年、アメリカのブッシュJr大統領とイギリスのブレア首相は、イラクが大量破壊兵器を隠し持っていると主張し、イラクに宣戦布告しました。イラクのフセイン大統領はそのようなものは持っていないと主張、国連の査察でもなんでも受け入れると表明しましたが「言い訳するたァふてえ野郎だ」とアメリカとイギリスは開戦に踏み切りました。 後に、その大量破壊兵器なるものはそもそも存在しなかったことが判明しました。ブッシュJr氏は「あるかもしれないという信頼に値する情報があったのだ」と主張しましたが、CIAからの報告書にも「(大量破壊兵器は)ない」と書いてあったことが判明しました。 イギリスは第一次世界大戦当時、アラブ人とユダヤ人に「戦争に協力してくれたら独立国を与える」と約束しました。同じ場所にね。パレスチナを巡ってユダヤ人とアラブ人が激しく戦争をくり返しているのは、イギリス人が二枚舌を使ったせいです。 騎士道や武士道なるものは、現実の歴史の前には単なる言葉遊びにしか過ぎないことをご理解頂ければ幸いです。 >日本人は姑息 サッカーにおきましては「シミュレーション」という言葉があります。一般的にシミュレーションとは模擬実験などを指す言葉ですが、サッカーにおいては「審判を騙す行為」として使われています。 よくあるのが、ペナルティエリア内でわざと倒れてPKを誘い込む方法です。ブラジル代表のネイマール選手はこれの名手として知られていて、「ネイマールはすぐシミュレーションをする」と世界中の審判に認識されているので本当に倒されても「わざと倒れただろ」とスルーされることもしばしばです。今大会でも、当初ネイマール選手が倒れてPKが認められたもののVARで審判が映像確認し、ファウルが取り消されたというケースがありました。 ウルグアイ代表のスアレス選手もシミュレーションが得意なことで有名ですし、南米系の選手はそういう「ファウルを誘う名手」が沢山いますよ。とある日本人選手はヨーロッパリーグに所属していたときに、コーナーキックで位置についたらそのマークについた相手チームのブラジル人選手がお尻の穴に指を突っ込んできたそうです。いわゆるカンチョーですね。思わずカッとして肘打ちをかましたらそれを審判に見られてレッドカードで退場させられたそうです。そういうファウルを誘う「狡猾な手段」だったんですね。サッカーにおいては「そのような挑発に乗るほうが悪い」とされています。

0123gokudo
質問者

補足

回答ありがとうございます。 eroeroさん知識は豊富な方のようですが、今一つ「立て分け」に対する鋭さがない方のようですね。 貴方が挙げられたのは全て、国の為政者の狡猾な行動です。人間の中で、政治家になりたがる人種が権力欲が殊更強い特殊な人間なんです。ヒトラーやアベを見ても分かるように、権力欲に100%とらわれた人間です。ズルいことは彼らに取って当然の行動です。 スペインはこんなにズルいことをやった、日本軍はこんなにズルいことをやったと権力者がでっち上げた時、国民が激高するということは、大多数の人間にはズルいことを嫌う正義感があることの証明ではありませんか? 大多数の人間にはそういう正義感があるから、ずるい権力者はそれを利用出来るのですよ。もし一般人にフェア精神がそもそもなければ、政治家は利用することも出来ません。 eroeroさんには、是非こういうことの立て分け、人間の区別をして物事を見て頂きたいのです。 >騎士道や武士道なるものは、現実の歴史の前には単なる言葉遊びにしか過ぎないことをご理解頂ければ幸いです。 ここ数年日本人の歴史的迷妄を覚醒すべく活動している、西鋭夫というスタンフォード大の教授のことはご存知ですか?2~3日前に読んだところです。 こんな感じの一節です。 『武士道』に感化された米大統領 新渡戸は、世界の名著『武士道』(1900年出版・原文は名文の英語)の著者である。この127ぺージの小冊を読んだアメリカの豪傑大統領セオドア・ルーズベルトは深く感動し、自分の子供や親戚一同はもちろんのこと、ホワイト・ハウスの側近全員も文章を暗記させるほど熟読させた。 1904(明治37)年2月9日に日本連合艦隊が、旅順港外に停泊していたロシア艦隊を撃沈して始まった日露戦争では、ルーズベルトは日本を応援し、日露戦争を終結させるためニュー・ハンプシャー州ポーツマスで和平会議(1905年9月5日)を開き、日本有利に話をまとめてくれた。 これは一例ですが、現実の政治に影響を与えた例です。決して机上の空論や言葉遊びではありません。 結論を出してしまう前には、徹底的に調べる必要があると思いますよ。私も一応博学と言われておりますが、まだまだ驚くような史実を発表して来る人はいるので、目を光らせています。 さっかーのシミュレーションに関してはありがとうございました。初耳です。熱帯圏の人間に関しては長年の体験がありますので、さもありなんと思いました。

  • bardfish
  • ベストアンサー率28% (5029/17766)
回答No.3

ちょっと違うかもしれませんが、日本人は平等よりも公平を好むと評した記事がありました。 「平等」はスポーツで言えばルールのようなもので体格差や経験差に関係なく同じルールの範囲内で競い合う。 「公平」というのは柔道で言うところの体重別でしょうか。 日本軍のことを引き合いに出していますが、太平洋戦争時の米軍と日本軍とでは歩兵の装備に隔壁の差があります。 日本軍はボルトアクションのライフル銃。米軍はオートマチックのライフルや最新のマシンガンが行き渡っていたのです。 攻撃方法にしても日本軍は騎馬が主体だった時代の戦法から脱却しきれておらず、歩兵が持ち歩けるような無線機もほとんど配備されていなかったため分散された部隊ごとの連絡もロクにできず連携が取れずに反撃をくらいことも多かった。 装備に関して言えば、連合軍は反則的なほど種類も量も充実していたのです。 補給面でも同じですよね。 米軍は日本軍の補給線を断つために民間の輸送船であろうと攻撃していました。 日本側にしてみれば戦争とは関係ない民間を軍が攻撃するのは卑怯だという考えがあるために日本軍は米軍の補給路への攻撃は行わなかったと言われています。 ※補給の重要性を軽視していたという見方もできますがw 姑息な手段が好きだったというよりも「心許ない装備で強大な敵に打ち勝つための創意工夫」といったほうが本質に近いと思います。 もっとわかりやすく言えば「下剋上を実現するために知恵を絞っている」の方がいいでしょうか?

noname#232424
noname#232424
回答No.2

日本の武士道は,平和な江戸時代になってからの思想(哲学)です。それまでは,「勝つためには手段を選ばない」のが当たり前じゃなかったんですか。古くは『古事記』のヤマトタケルは,たぶん架空の人物だったでしょうが,「姑息なだまし討ち」でイズモタケルやクマソタケルを殺害したことが,国家編纂の歴史書に堂々と記録されています。 西洋の事情については知りません。

関連するQ&A