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日本民族は本来姑息なんでしょうか?

先のW杯日本ポーランド戦での終盤10分の日本チームの戦い方に関し、海外の賛否両論とあったので見てみましたら、圧倒的に否定する意見が多く載っていました。 https://www.nikkansports.com/soccer/russia2018/news/201806290000675.html 先ず、日本人は「姑息」な行動を嫌います。先に舛添知事が「姑息々々」の大合唱を受けて遂には辞任を余儀なくされました。姑息な行動を殊更嫌うのは、裏を返せば姑息な人が多いということになります(心理学的に)。 武蔵が小次郎に勝つために、わざと約束の時間を遅らせて行った。こういうことは西洋の騎士道ではアンフェアにはならないのですか? 私のイメージでは西洋人は、果敢に敵に向かって行く、たとえ生死に関わることでもフェアプレーでやる。西部劇の映画などを見ていてそう思いました。 勿論一概には言えないのでしょうが、もし、ここに取り上げられている海外の論調が実際の割合を示しているとするなら、日本人は姑息ということになると思います。 西洋の騎士道や日本の武士道に知見のある方、比べてみて違いはどうですか? 会田雄次さんの「日本人の意識構造」によると、日本軍は敵の背後に回って攻撃するとか、夜陰に乗じるというのが好きだったようですね。て言うか、それ以外しなかったようですね。出来るだけ客観的に述べて下さったら助かります。余りに主観的な意見だと、その分を差し引いて理解しないといけませんからシンドイです。 宜しくお願い致します。

みんなの回答

  • tzd78886
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回答No.1

歴史というのは勝者が作り上げるものなので、どんなものが正当な勝ち方なのかも考えは人それぞれでしょう。源義経が次々勝つことが出来たのは当時のセオリーを無視して「手段を択ばない」戦法を取ったからで、そのために関東武士から反発を食って嫌われたという説があります。言い換えるとほとんどの武士は名乗りを上げて一騎打ち戦法で戦っていたわけで一種の競技のようなものです。 だいたい、姑息という点で考えれば、オリンピック競技が欧米人に有利なように次々ルール変更があることこそ、よほど姑息です。その方が視聴率が高くなって利益が出るからで、一種のビジネスと化しているのです。

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