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真岡鐵道
1912年の官設鉄道真岡軽便線(もうかけいべんせん)下館 - 真岡間の開業に始まる。 くらいしかwikiには載ってないのですが、この鉄道はいかなる歴史で発足したのでしょうか? 普通地方の鉄道って工業出荷物か港か何か産業があると思うのですが、真岡っていったい???
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>普通地方の鉄道って工業出荷物か港か何か産業があると思うのですが、真岡っていったい??? 真岡は江戸時代から続く綿布(木綿)の産地です。 真岡木綿は現在でも高級綿布とされています。 この綿布を一大消費地である東京へ輸送するために一足早く開業していた水戸線に接続する路線として敷設されました。 水戸線経由で小山から東北本線あるいは水戸から常磐線で都心と結ばれるようになりました。 真岡線は1912年に開業しましたが翌年には七井まで延長されました。 真岡ー七井間にある益子は陶器の産地です。 この陶芸品を東京へ送る貴重な鉄道路線となりました。
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- ichikawa2017
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No.1です わざわざお礼を記入頂きありがとうございます。 お礼に御質問というかご意見がありましたので追加の説明をさせて下さい。 >陶磁器や生糸ならともかく綿布で・・・? >大正期は主要な輸出品でしょうが速達性が求められるわけでもなさそうだし昔はそこまで高価だったんでしょうかねえ? 速達性などが求められていた訳ではありません。 綿布は絹布などよりも広く使われていました。。 現在のようにトラック輸送が普及していない時代には陸上輸送は鉄道が主体でした。 需要が旺盛な商品を輸送するためには鉄道の敷設が不可欠でした。 需要が多いからこそ輸送費を節約する必用があります。 生糸や絹布は古くから群馬県が盛んでした。 国内最初の工場である富岡製糸場も真岡鐵道よりも早く敷設された高崎線(上越線)の沿線にありました 真岡地方としては地域興しには鉄道の敷設が不可欠でした。 >むしろ益子がメインと考えていいのかな? 益子焼きが陶芸品となったのは真岡鐵道が益子を通るようになった以降のことです。 土質が悪いことからそれまでは日用雑貨品として作られていました。 日用雑貨品としての陶器であれば東京には古くから今戸焼がありました。 つまり民芸品となる以前の益子産の陶器を大量に東京へ運ぶ動機がありませんでした。
お礼
再度のご回答ありがとうございました。
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綿布ですか・・・なるほど。 陶磁器や生糸ならともかく綿布で・・・? 大正期は主要な輸出品でしょうが速達性が求められるわけでもなさそうだし昔はそこまで高価だったんでしょうかねえ? むしろ益子がメインと考えていいのかな? ご回答ありがとうございました。