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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:明治6年(1873)、新橋・横浜間の列車の定員)
明治6年の新橋・横浜間の列車定員と営業状況
このQ&Aのポイント
- 明治6年(1873)、新橋・横浜間の列車の定員は上等車10両(定員18人)、中等車40両(定員26人)、緩急車8両でした。
- 乗客は1日平均4347人で、開業前に中等車26両が下等車に改造され、定員は52人となっていました。
- 質問ですが、下等車では定員を超えることもありましたか。また、車掌は何人乗っていたのでしょうか。
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- SPS700
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回答No.2
お礼
丁寧なご回答真にありがとうございます。 理路整然として、説得力のあるまさに技術屋さんの文章ですね。 よく解りました。 紹介されたURLも大いに参考になりました。 私も9往復(列車本数18)で計算し始めたのですが、列車の編成・定員が分からず、質問しました。 規則で定員超過を禁止していても、定員オーバーしていたのではないかという疑問もありました。 そんなことはなかったということ、よく解りました。 乗客が1日平均4347人だったとしても、平均乗車率は4347人÷5148人×100≒84% であるということ、数字が証明していますね。 お蔭様で疑問は解けました。感謝申し上げます。