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聖書の魅力とは?

聖書を朗読してくれるアプリがあったので最初から聞いてみましたが、登場人物がどんどん出てきてなんのことやらよくわかりません。(途中で飽きました…) どこらへんを読むのがよいのでしょうか? 教会で今日はどこどこを読みましょう見たいなイメージがありますがどこを読んでいるのでしょうか?

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回答No.4

#3です。  なるほど。ご質問者さまは「信仰に至る読み方」というものを求めておられるわけですね。「ベストなやり方」ではないかもしれませんが、それならば1つご提案できるかと思います。  まず聖書を「読む」のをやめてみることです。たとえば申命記6章4節に「イスラエルよ、聞/聴け」ありますように、長い間、聖書は「読む」ものではなく「聴く」ものでした。福音書でもルカ8章8節などでイエスが同様のことをいっています(「読め」ではなく「聴け」です)。各国語訳で自国語で聖書を読めるようになった歴史は意外と浅いです(16世紀ぐらいから)。それまでほとんどの人たちは聖書を「聴いて」きました。現在でも文字の読めない幼児や、そのほかの理由で書かれた聖書を読めない方たちが聖書に触れる手段は「聴く」ことです。  それぞれのスタイルがあるでしょうから一概には言えませんが、私は礼拝中に印刷物などの参考資料を配布する説教者や、説教の最中に聖書を開いて「読む」方はあまり感心しません。結局のところそれは字面を追っているだけで「読」んでいません。  聖書の伝承そのものが元々は口頭で伝えられて、文書化されてからもユダヤ教、キリスト教では朗読が重視されてきた歴史があります。  ご承知おきいただきたいのは、私は「読む」という作業そのものは否定しているわけではないという点です。ただ、現代のキリスト教はあまりにも「能動的に」「読む」という作業が重視されすぎているとご指摘しているだけです。  まず耳で「聴く」。それから(できればテキストなしに)声に出して「読む」などの作業を繰り返してみると意外な発見があります。本来、信仰とは神の言葉を受け入れるという「受動的」な要素が強いので、ただ読んだだけでは理解(一種の「聴く」)には至りません。ご質問者さまがどのような方か存じ上げませんのが、聴覚が不自由な方で、「聴く」事が困難であれば、「書き写す」のも一つの手段です(現在は印刷ですが長い間、聖書は手で筆写されていました。非常に信仰が必要な作業です)。  「信仰に至る」という目的をお持ちならば、礼拝がベストではありますが、最近はフリーでも聖書朗読のオーディオファイルがありますので、最初は単に「聞く」(聞き流す)でも構いません。「聞」いているうちに心に留まる言葉が「聴」こえてくるかと思います。「聞く」という受動的な行為が「聴く」という能動的な行為に変化したことを感じとることが出来た段階で「読」み始めれば大丈夫です。ここまで至ればおそらく他人に「どこを読んだらいいか」というアドバイスは求める必要がなくなると思います。  意味は分からなくてもいいのですが、原語(ヘブライ語)の朗読を聴くのもおすすめです。非常に美しい響きで、必ず日本語で読んでみたい、という欲求に突き動かされると思います。  オーディオファイルを2つご紹介しておきますね。  https://archive.org/details/john_22 日本語(旧約聖書)  https://www.youtube.com/watch?v=kdR6yQQ3F7k&index=222&list=FLPCdhtNTW4i7KSG4ktwQivA&t=0s ヘブライ語申命記朗読  ご参考になりましたら幸いです。

tanakanono
質問者

お礼

詳細な回答ありがとうございます。 参考にさせていただきます。

その他の回答 (3)

回答No.3

聖書学の学位を持つものです。 >教会で今日はどこどこを読みましょう見たいなイメージがありますが  「聖書日課」ですね。「聖書日課」にも色々とスタイルがありますが、『ローズンゲン』のようにクジで聖書個所を選んだもの、『日々の糧』(日本基督教団)のように教会暦に合わせて読む箇所を選んだものがあります。個人的にはストーリーがある後者が好みです。あまり聖書になじみのない方にも、おそらく後者の方が読みやすいかと思われます。  手っ取り早く聖書の面白い箇所を見つける方法は、「知っている有名な個所」を読むことだと思います。一例をあげますと、  ・「目からウロコ」→使徒行伝9章17節以下  ・「働かざるもの食うべからず」→第2テサロニケ3章10節  ・「目には目、歯には歯」→出エジプト記21章24節以下  ・「羊の皮を被った狼」→マタイ福音書7章15節 おそらくほとんどの日本人が知っているであろうこれらの言葉は聖書が出典です。探せばこのような事例はたくさんあります。  もう一つ、お勧めの読み方は絵画や音楽から聖書の出典を探すという読み方です。『絵画で読む聖書』など、参考になる書籍もありますよ。よく耳にする曲が讃美歌に由来しているという例があります。ちょっとお下品ですが「たんたんたぬきのき〇玉」は、"Shall We Gather at the River"という讃美歌が原曲で、聖書の参照箇所は『ヨハネ黙示録』22章が挙げられています。  私がご紹介した「聖書の読み方」は、おそらく、「信仰的な読み方」ではないかと思われるのですが、こういう読み方から聖書に興味を持つというのは悪いことではないと思っています。  ご参考になりましたら幸いです。

tanakanono
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 キリスト教が信仰されるのは聖書に魅力があるからなのだと思い、聖書を読んでみようと思った次第です。最初の辺を読んだだけでは、小説とどこが違うのかを明確にできませんでした。ご提案いただいた方法で興味は持てそうですが、信仰に至るまでいかない気がします。やっぱり幼いころから慣れ親しまないといけないんですかね?神道は何となくわかります。キリストより仏のほうがまだわかる気がします。難解ですがもう少し頑張ってみます。

  • agmtvg
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回答No.2

まず 箴言と詩編を読んでください それは人生に対する考え方を書いてます。 第一コリント13節4章のクリスチャンの持つべき愛について書いてあります。 最初はこの3つで大丈夫だと思います。 その言葉を黙想すれば人格が変わります。 神様の言葉は偉大ですよ

tanakanono
質問者

お礼

https://ja.wikisource.org/wiki/コリント人への第一の手紙(口語訳)#第4章 これでしょうか?3つというのがよくわかりません。

  • eroero4649
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回答No.1

聖書ってのは旧約聖書のことですか。それとも新約聖書のほうですか。 旧約聖書はいってみれば上巻、新約聖書は下巻ですから、いきなり下巻である新約聖書から始めると上巻の登場人物やストーリーが分かってる前提で進められるので理解ができないことが生じます。 例えば、十字架にかけられたイエスが「我が神、我が神、なぜ私をお見捨てになったのですか?」という有名な言葉は、何も知らなければ「さすがのイエスさんも、その状況では絶望的な気持ちになったんかー」で終わりですが、実はその言葉は詩編の中のひとつなんですね。「ちはやふる」といえば、和歌を知っている人なら「かみよもきかずたつたがわ」とすぐ分かるように、冒頭の部分だけをいえば分かる人はイエスが何をいいたかったのかは分かる仕組みとなっているのです。 全体のエピソードを知りたいということであれば、阿刀田高さんの「旧約聖書を知っていますか」と「新約聖書を知っていますか」を見れば概要をまるっと理解できます。

tanakanono
質問者

お礼

ありがとうございます。教えていただいた概要を見てみたいと思います。

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