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羞恥心の部分

昭和30年頃までの映像を見ると、人前で平気で授乳している女性が出てきたりします。一方、ビキニ水着が一般に広まったのは30年代後半以降のようです。勿論、へそ出しの服装の女性など見かけません。 昔の日本人女性は胸を人前に晒すより、へそを見られる方が恥ずかしいと思っていたのでしょうか。

みんなの回答

  • Dr_Hyper
  • ベストアンサー率41% (2483/6032)
回答No.2

まあ,その当時でも 若い未婚女性が乳首を出すのはあり得なかったでしょうし,今のように結婚してからも奧さんが若くキレイでいるという事よりも,旦那さんの物になったのだから女よりも母。という概念が強かったので,授乳時に胸を出すことを恥ずかしいとは思わないだけではないでしょうか。授乳というものが大切な行為だったのだと思います。実際奧さんは子供が小さいときは,この乳房は子供の物だからという意識がすごく強くなっており母性が羞恥心を越えるのだと思います。 一方,ビキニなどを含め若い女性が肌を露出するのは当時は風潮で悪とされていたでしょうし,ミニスカートをはじめとして流行の伝播は非常に遅く親の教育で人前にさらす物ではありません。となればそのようなきわどい服を着るのは抵抗があったのでしょうね。 それがマスコミ,テレビが広まり情報が一気に広がるようになると,今度は放送コードが羞恥心の中心に位置するようになりました。 下半身の露出はモザイクがかかり,胸はトップが見えなければ苦情は出ない。 そんな風潮が広がり,それが逆に女性の羞恥心の範囲を変えて行ってしまったような気がします。

tzd78886
質問者

お礼

昔の映像を見たことがあるのですが、昭和30年頃の海女さんは老若関係なく上半身裸で「仕事」をしているんですね(全国でそうだったのかはわかりませんが)。それを昭和60年当時、もう歳を取った海女さんたちが、「あれはあんただ、これは私だ」と、笑いながら見ているという番組を見たことがあります。また、ほぼ同時期の新聞記事にあったのですが、そのころまで「海女さんというのは上半身裸で仕事をするのが普通だったが、そのころから観光客が増えて無神経に写真を撮ったりするようになり、夫たちが焼きもちを焼くようになって「海女着」というものが考案されるようになった」のだそうです。「あまちゃん」などで定番のように着ている「海女着」は、実は裸で潜っていた時代とウエットスーツが普及するまでの間のごくわずかしか使われていなかったそうです。 世界遺産登録された「山本作兵衛」の絵でも、上半身裸で作業する女性が描かれています。 https://www.crossroadfukuoka.jp/osusume/2011autumn/index.html ただ、これらの女性は当然へそくらい出していたでしょうから、私の質問とは違って来ますが。

  • chomicat
  • ベストアンサー率55% (586/1047)
回答No.1

人の意識は時代と共に変わります。 電車内でも広場でも母親が母乳を乳児に飲ませるのは日常のありふれた情景でした。 周りの人はそれを見ても何とも思わないし、母乳ですくすくと育っているのかな、くらいにしか感じない。 今の様に授乳を見て猥雑な観念を持つ人もよほどの変態以外いませんでした。 へそ出しルックと云ったビキニ水着は、アホなマズゴミがわいわいやったおかげで恥ずかしいという意識を徐々に無きものにしていったのです。 無論当初は女性も肌を余計に見せるビキニは恥ずかしく思う人も沢山いたでしょうね。 女性は男性と異なり常に新しい物を始める人が多いのです。 男性の意識は変化を好みません。 例えば昭和20年代後半から30年代掛かりには、朝剃った男性の髭が午後5時頃になると伸びて来る(five o'clock shadowと云います)のを隠す男性用のコンパクトが輸入販売されていた位ですが、今映画の主役は殆どが不精髭。 心理学者が調査した女性が一番男らしさを感じるのはの結果が「不精髭」だった事からの様ですね。 ビキニスタイルの女性はみんなの視線に慣れてきて何とも思わなくなったのでしょう。 お隣の半島じゃ子供が生まれると女性は胸の部分の衣類を切り取って乳房を晒すと言う習慣がありました。 人の意識は時代と共に変わって来るのが常です。

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