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カルバンとルター
はじめまして、非常に困っています、わかるかたいましたら回答ください。 カルバンとルターについて、国家と教会の関係でどうのような違いがあるのでしょうか。
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- jazz04
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ローマ教皇がキリスト教国全体に権力を振るっていた中で改革の必要を唱えて、初めてキリスト教国の皇帝の支援を得ることができてその運動の土台を築けたのがルターです。それまでは強大なローマ教皇の前で火あぶりか処刑されるのがおちだったのですが、彼はドイツ皇帝の庇護を受けたためにドイツ内で彼に同調する実力者を多く得ることに成功しました。 ドイツ皇帝はカトリックとルター派どちらも選択してよいということにした上に、ローマ教皇へカトリックとルター派の折衷案を上申したのですが相手にしてもらえませんでした。それで、ルター派とカトリックの関係修復は絶望的となりドイツは事実上ルター派の国となったのです。 カルバンはルター派がはじめたプロテスタントの考え方にフランスで接して信奉するようになります。そしてカトリックのフランスで迫害されスイスに亡命します。彼はジュネーブをプロテスタントの聖地としてそこにカルバン派の神権政府を樹立しようとします。生活の細かいことまで宗教法の厳格な適用を行いプロテスタント恐怖政治を行います。それは、髪型から服装にまでを罰則で縛る徹底的なものでした。その結果、ジュネーブはヨーロッパ中から迫害を逃れてきたプロテスタントの牙城となっていきます。そして、ジュネーブからオランダ・フランス・英国の宗教改革が支援され英国のカルバン派は清教徒の源流となりアメリカに渡ることになります。 簡単に言えばルターがはじめたプロテスタントをカルバンが世界的に広めていったということです。 国家と教会の関係は、プロテスタントが始まるまでヨーロッパのキリスト教国はすべて王様のような封建領主はローマ法王の任命を得て初めて主権者の資格を得たわけです。日本の将軍などが天皇から任命されてはじめて封建領主の資格を得たのと同じようなものです。
お礼
大変参考になりました^^ルターとカルバンそして国家と教会の関係がわかりやすい文章ですね。ありがとうございます(⌒^⌒)