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最後の将軍である徳川慶喜は手裏剣の達人だったそうで
最後の将軍である徳川慶喜は手裏剣の達人だったそうです。 なんで手裏剣の腕前が凄かったのですか? 手裏剣って忍者しか使わない武器ではなかったんですか? 武士なのに手裏剣はどこで学んだのでしょう?
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若いころ古流柔術の修行をしており、その縁で根岸流手裏剣術の手ほどきを受けたことがあります。 十年くらい前まで稽古場所がありましたので、一人でやっておりました。 一人修行の場合は、稽古場所の確保が大変なのです。 根岸流手裏剣術は、明治維新以後もきちんと伝承されている流儀です。 「根岸流手裏剣術」 http://www.nihonkobudokyoukai.org/martialarts/075/ 現在では手裏剣と言うと忍者が使ったとされる十字手裏剣を思い浮かべる方が大多数であろうと思いますが、古武術の手裏剣は平たく言うと十数センチの長さの鉄の棒の端を尖らせたもので、武士が修行したものです。もっとも少数派ではあったようですが。 「古武術」 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E6%AD%A6%E9%81%93 徳川慶喜は、明治維新後の余生を送っている時期に手裏剣の練習をしていたことは知られていることです。手ほどきを受けたことはあったのでしょう。 達人であったかどうかは何とも言えないと思います。 手裏剣の修行は基本的に一人で行います。道場で行いますが、ある程度の腕になり稽古場が確保できれば、一人修練をしながら、時々師の元を訪れ手直しを受けると言う形になっていきます。 手裏剣は弓道に似た部分があり、実戦を離れて精神や形が重要視されています。詰まりは、その師の評価によるところが大となります。 慶喜はその時期には、師はいなかったと思われますので、単に自身の修養として行っていたのではないでしょうか。 一本打っては、自身の心と姿勢を見つめ直し、また一本打つと言う稽古であったろうと思われます。
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徳川慶喜は手裏剣の達人だったそうです。 また根も葉もない嘘話ですか?
- ithi
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gasshop2017 さん、こんばんは。 徳川慶喜は何をやっても達人ですよ。写真も撮ったくらいですからね。武士としてのたしなみとして武術の手裏剣術というものも学んでいたんじゃないですかね。何も忍者ばかりが使ったものではありません。 https://ja.wikipedia.org/wiki/手裏剣
お礼
有難う御座いました
お礼
有難う御座いました なるほど