• ベストアンサー

江戸時代はなぜあんなに長く続いたのでしょうか?

江戸時代は大きな戦乱もなくとても長く続きましたが、その要因は何だったのでしょうか?

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • fujic-1990
  • ベストアンサー率55% (4505/8062)
回答No.4

 一言で言うと、「日本に天皇制があったから」。  例えば、神聖ローマ帝国皇帝は、その権力の正当性を基督教の法王の承認に求めました。  また例えば、中国では天安門事件以来、反日宣伝を活発にしました。なぜかというと、「若者が中国共産党の支配に疑問を抱いたのが天安門事件の原因だから、共産党の支配に疑問を持たせないことが重要だ」と共産党は考えた、と池上さんは言っています。  そのような疑問を抱かないように、中国共産党による中国支配の正当性を知らしめるため、日本人を残虐非道の極悪人にしたて、侵略者日本を打倒して人民を救ったのが中国共産党である。故に、中国共産党が中国を支配するのは当然なのである、という「正当性」の論理を展開したのだ、と。  (実際に日本軍とちょっと戦ったのは国民党軍だが、歴史書き換え)  そのように、支配の正当性というものは大切なのです。正当性に疑問符がつけば背かれるのですが、日本には天皇がいました。  天皇であっても権力を行使すれば敵ができ、恨まれるのですが、天皇は大昔から権力を行使せず、ひたすら国民のために祈る、理想的な存在でした。  その天皇から授権された徳川家が政治を代行するんだということになったので、「徳川家がなんで?」ということにもなりませんでしたし、「あやつに取って代わろう」という考えが出なかった、というのが、最大の理由であろうと思います。  二次的な理由としては、まず大名と幕府の財力。  鎌倉幕府も、室町幕府も、財政難などで「自壊」してしまったのですが、江戸幕府はさいわいにして、お手伝い普請や参勤交代などで大名たちの財力を削ることにも成功しました。  つぎが、武士の禁欲的生活。  他の国々の王侯や騎士などと違い、我が国では、天皇を筆頭に、偉くなるほど不自由だったのです。天皇は御所から出られない。武士は暮れ六つ?かなにかには必ず家に戻っていなければならなかったし、姫様なんかはずっと屋敷から出られない。  姫様や奥方様が町をぶらつくなんてテレビ番組は、史実無視のファンタジーです。  下級の武士は、傘張りや書物の書き写しなどのアルバイトでやっと生きている程度。それでも武士の対面は保たなければならなかった。庶民はそれを知っていました。  その庶民はというと、才覚と努力しだいで金持ちになれました。王侯貴族や宗教人が権力も権威も財力も独り占めした他国とは違いました。  武士の不自由さを見ている大金持ち・大商人は、カネをつかって反乱を起こそうとか、武士に取って代わろうとはしなかったのです。せいぜいが、子供のために下級武士の株を買って、武士だという資格を得て満足する程度でした。  それらの積み重ねが、徳川幕府を長らえさせた原因であろうと思います。  どこの国でも、どうやっても絶対にナンバーワンにはなれない国の政争は、ナンバーワンになれる国よりも、穏やかです。たいがい、ナンバーワンから正当性を保障してもらえば、全滅させるまでもなく、済んでしまうんですから。  逆に、幕末に外国に対して国を開こうとしたとき、幕府側は、天皇の許しを得ようとして…日本国土、人民の所有者である天皇が『許す』と言えば開国反対の論者は消滅するだろうと安易に考えて…失敗し、倒幕の動きを見逃してしまったのでした。

advent
質問者

お礼

ありがとうございます

すると、全ての回答が全文表示されます。

その他の回答 (11)

  • aokii
  • ベストアンサー率23% (5210/22063)
回答No.1

江戸幕府がキリスト教禁圧を名目として行った対外交通貿易の極端な制限政策で国際的に孤立したためではないでしょうか。

advent
質問者

お礼

ありがとうございます

すると、全ての回答が全文表示されます。

関連するQ&A