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アドラー心理学に詳しい方、子どもについて、詳しい方
アドラー心理学に詳しい方、子どもについて、詳しい方にお聞ききたいです。 ピアノ講師をしています。 小学2年女の子ですが、一言で言うとふてぶてしい。 歩き方、喋り方、姿勢。 そして俗に言う、正にSっ気が強いです。 が反面、面倒なくらい、つまらない所で恥ずかしがったりします。 (S面が強い人ほどM面も強いのだと思います) 又うるさい!と叫びたくなるくらい低く強い声を出したかと思うと恥ずかしさから消えそうな声で話したり無言になることがあります。 又何かが(物や虫)傷ついた時に、ゲラゲラ笑う反面、かわいく柔らかい物が大好き過ぎるのです。 ちなみにお母様は大変礼儀正しく細やかな気遣いの出来る方です。 お父様は威厳の「い」の字も無い方で怒り方叱り方が分からないと言う感じの人です。 そして1人っ子です。 レッスンの用意がいつまでも経っても遅い。 体に芯が無くお辞儀も、ふらふらしがちでしっかり立つ事を意識しないと出来ない。 又先にも書いた様な子なので、レッスンの時もツッコミどころ満載です。 お母様とは、時々この子の性格性質についてレッスン中私がどの様な理由で叱ったかをお伝えしている次第です。 そこで質問です。 アドラー心理学によると、行動には「相手」と「目的」があるとのこと。 (1)この子の場合、相手と目的は何になるのでしょう? そしてアドラー心理学によるとこのような場合叱ったり注意してはいけないとのこと。 私はこの子の場合、環境が原因の性格と言うより、生まれ持った性格性質と思っています。 (2)それなのに注意してはいけないのでしょうか? 長文になってしまいました。 申し訳ありません。 どなたか、お返事頂けましたら嬉しいです。
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- E-1077
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お礼をありがとうございます。 対人間の問題を解決するとき、答えを求める場所はアドラー心理学だけではないのでは? 今回無理矢理アドラー式で考えました。 対人間という中には自分のなかの自分も含まれます。本質的な部分と作っている部分がある筈。2面性と迄はいかなくても人はそうやって場面毎に自分を作る事は可能です。母親の前で見せている部分と素の部分など。 あなたも生活の全てや性格の全てがピアノ中心ではなく、時してそれを否定して行動したりしませんか? 他からの刺激や影響により自己の心理が変わる事は容易に想像できますが、そうやって行くうちに、自分の中の自分がいる事に気が付かないまま過ごす事もあるのです。 私は心理カウンセラーの資格があります。アドラー心理学も本は読みました。自己啓発には有効であるという面もあると思いました。 また、ピアノ講師でもあり現在は別の楽器も教えています。 私が学んできたピアノの技術は古いなとも思います。同じく確かに最近の子はと思う事は多くなりました。件の生徒だけ特別に何かを感じるから質問をしているのでしょうが、本質的な部分で始めから穿った見方をしていては解決にはならないと思います。 スクールカウンセリングをしていて思う事は、傾向として自分を否定される事を異常に怖がるというか、存在すらその意味が無いと思い込んでしまうような、極端な感じがします。昔ならそれをバネに何クソ!見返してやるぞ!などと云う考えをする事もあったと思いますが、最近は少ないですね。一つダメだと全部が駄目だと思い込む。そうなると折角良い面も沢山持っているのに引き出せないまま、流され埋もれてしまうように思います。 ピアノのレッスンだけでなく、成人式の着付けをしていても最近の方は真っ直ぐ立って居られない人が多いなと感じます。フラフラしてないで少しは自分の為の着付けなのだから、しゃんとしてなさい!って思います。ふてぶてしい態度も良くあります。1回しか会わないのでスルーしますが、生徒さんならそうは行きませんよね。 彼女が本質的に歪んでいると判断するなら、それを、否定せず、そのまま対応してみては? 彼女が歪んだ理由を見つけても、彼女自身が改善しようとしない限りまた気が付かない限りはこのまま大人になるのでしょう。 このままではいけないと思うのも事実ですが、人格形成まで責任を追うことは、ピアノ講師には限界があるのではないですか?
- E-1077
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彼女の相手は自分でその目的も自分なのかな?と思いました。 何故そうしなくてはならないのかの因果関係をきちんと分かっていないのが原因ではないかしら? 親の教育や躾がぶれている場合に起りやすい現象ですね。相手を試すようなやり方をする子どもは多いですよ。 ピアノ教室ならばピアノを教えるのが主なのですから、発表会のお辞儀以外は見逃しておくとか。恥をかくのは、たぶん母親だけでしょうね。 性格が歪んでいるというよりも、コントロール出来ていないだけなのだと思います。 答えやすいような誘導も講師として学ぶのは良いですよ。心理学を持ち出すまでもない当たり前の事です。 反応があるから止められなくなっている可能性がありますよ。枠から出たいのかもしれないし。親がそうさせてしまっている事に気が付いていないなら、彼女の矛先は自分自身でしょう。
お礼
たくさん、色々考えられることを書いて頂き誠にありがとうございます。 相手も目的も自分自身という事はあるのでしょうか? アドラー心理学では悩みの全ては対人間とのことですね。 私もそのように思います。 だとすると、相手も目的も自分自身というのは、何だか矛盾してるような気がしたのですが。。。 私はね、この子の問題は生まれ持った性格背質がほとんどだと思ってるんですよ。 30年近くピアノ講師をしてるのですがここ10年ほどの生徒達は、いわゆる育てにくい、と一般に言われる子どもが多いんです。 育て方、とかではなく発達障害とまではいかないけれど、どの子もとても手がかかるんです。 その中でも質問文の子は、マイナスの意味で手がかかるので相談させて貰ったのですが。 この子はわざと、ふてぶてしくしてるのではないし、フラフラお辞儀してる訳ではない。 本質性質からそうなってると感じてます。 だから私は注意(教える)しています。 だから少しづつ色んな部分が改善されてきてるんです。 でもアドラーによると、問題行動に注意してはいけないらしい。 なぜなのでしょうね。。 アドラー式ではどうするのが正しいんだろう??
お礼
またまた、ご丁寧にありがとうです(^-^).*・゜ 私が今回「アドラー心理学だと、どの様に対応したら良いのでしょう」とお聞きしたのは先日アドラーセミナーに行ったからです。 わりと高い受講料でしたし、興味もありますし、せっかくそこで色々教わったのだから自分なりに咀嚼して行きたいと思ったのでアドラー式で、と質問しました。 それからおっしゃるようにピアノ講師が人格形成だなんて、もちろん限界があります。 でも、ピアノだけを教える教室と言うのは抵抗があるのです。 長年付き合うそばに居る大人として良い影響を与えたいし、色んな形で愛情を注ぎたいのです。 親が気付かない、イケナイ事も他人が気付く場合がありますよね。 そこを修正と言うか、、良い方に導けられる範囲はそのようにしたいとも思います。 又ピアノ面では、性格性質により表現力に個性が出てきますし、すぐ諦める、素直でない、初めての事を異常に嫌がる等々の部分を持ったままでは伸びません。 成長と共に良くなってくるだろうと思う所は見守っています。