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なぜ日本人は偏差値という元々は合格確率数値を頭の良
なぜ日本人は偏差値という元々は合格確率数値を頭の良し悪しを測る絶対的な基準値として使い、 その数値に一喜一憂し、生徒、学生、児童や子供たちなどを愚弄するのだろうか? 偏差値は本当に頭の良し悪しを測る数値なのだろうか? 偏差値を日本や韓国などが頼らない状態にする為には、そもそも頼らない状態は本当に望ましい状態なのだろうか? 偏差値に頼らること、頼らないことのそれぞれの利点欠点限界盲点とは? 教育カテゴリー皆さんの ご回答のほど、 お待ちしております。
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偏差値というのは,単にレベルと数値化しただけですよね 自分の全国模試の偏差値と,その大学に合格した生徒がもっていた偏差値の平均値とどっちがどの程度高いか低いかで,入れそうかどうかを決める。 そもそもは,塾や予備校がわかりやすく志望校を決めるさせるための手段でした。数値化された方がブランド名に左右されないのでわかりやすいという利点ですね。 ですが圧倒的なブランド力,または学ぶことによるものではなくて,卒業生の職業や学閥の権力などによって異常に高い偏差値を獲得する場合もあるので,単純に学生はよって頭の良し悪しで自分の数字をもつけれど,比較するほうの大学の数字は頭の善し悪しではなくて,基本的には学校のランキングで人気が加味されてしまいます。これが限界。 盲点としては私立大学は国立大学を落ちて入ってくる人の偏差値で上に引っ張られ,国立大学は地元の学生が多く全国的に人気が無い学部であれば偏差値が低めにでてきます。 実際に授業をしてみればわかりますが,私立大学は内部進学生という高校受験を経験しない学生がおり学生の幅がものすごく広く普通の授業が普通にできない。ある学生は簡単すぎますと文句を言い,ある学生はまったく分かりませんと同じ授業で文句を言います。まったく同じ内容と国立大学ですれば,殆どの学生が同程度の理解度で同程度の感想を述べます。これが盲点 欠点は数字だけが一人歩きすること。 お前どこの大学行ってるの?で通じない地方国立だと,偏差値はいくつ?なんてことになって,人の能力を量ってしまう。 大学の教員であれば誰でも知っていることではあるが,一般に私立大学の偏差値は,受験失敗組によって引き上げられ,一般の国立大学のくらべて偏差値が5-7ぐらい高く評価される傾向にあり,これを学習能力と勘違いすると大きな間違い。
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- hekiyu2
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なぜ日本人は偏差値という元々は合格確率数値を頭の良し悪しを測る絶対的な基準値として使い、 その数値に一喜一憂し、生徒、学生、児童や子供たちなどを愚弄するのだろうか? ↑ 科挙の影響じゃないですかね。 日本には科挙は導入されませんでしたが、 その影響はあると思います。 偏差値は本当に頭の良し悪しを測る数値なのだろうか? ↑ 学力を測る数値ですから、頭の良し悪しとは 別です。 頭の良し悪しは遺伝的要素が大きいですが、 学力は70%ぐらいが本人の努力です。 偏差値を日本や韓国などが頼らない状態にする為には、 そもそも頼らない状態は本当に望ましい状態なのだろうか? 偏差値に頼らること、頼らないことのそれぞれの利点欠点限界盲点とは? ↑ 利点・・勉強する動機付けになる。 米国でも、一番勉強熱心なのは、中国、韓国、日本など です。IQも、白人を上回ります。 欠点・・やり過ぎると、科挙のようになります。 中国衰退の原因の一つに科挙があった、という説が あります。 限界・・試験で能力を測るのは限界があります。 盲点・・立ち位置が明確になるため、自虐的になります。 米国はこういうことをやらないので、自信過剰気味の 人間が増えます。 中韓日などは、努力が足りなかった、と己を責めます。
- SPS700
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1。その数値に一喜一憂し、生徒、学生、児童や子供たちなどを愚弄するのだろうか? わかりません。 2。偏差値は本当に頭の良し悪しを測る数値なのだろうか? いいえ。 3。偏差値を日本や韓国などが頼らない状態にする為には、そもそも頼らない状態は本当に望ましい状態なのだろうか? 大変望ましいと思います。 4。偏差値に頼らること、頼らないことのそれぞれの利点欠点限界盲点とは? 前半は欠点だけ、後半は利点だけです。
- catpow
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>>なぜ日本人は偏差値という元々は合格確率数値を頭の良し悪しを測る絶対的な基準値として使い、その数値に一喜一憂し、生徒、学生、児童や子供たちなどを愚弄するのだろうか? 日本人は、誰かが決めた「尺度」によって自分のポジションを確認して安心したい傾向が昔からあるようです。 その「尺度」が、自分、あるいは自分たちの「目的」に合ったものであるか?本当に役に立つのか?という根本的な問い掛けはしない傾向があります。 盲目的に、その「尺度」で良い点をとること、他人に勝つことだけしか考えてないバカだからでしょう。 >>偏差値に頼らること、頼らないことのそれぞれの利点欠点限界盲点とは? 偏差値は、決められた尺度をあてはめたとき、集団の中の自分の順位を求めるのには役にたつ数値です。 でも、その数値が高いからといって、社会に出たとき、仕事で優秀な結果を出せるか?すばらしい研究成果を出せるか?というと、そうはいいきれませんからね。 たとえば、旧日本海軍は、ミッドウェ海戦で、4隻の大形空母を沈められたのが転機となり、それ以降は負け戦が多くなりました。 あれは、「こういう状況のときは、こうしなさい」という軍の教科書どおりに南雲中将が考えていて、実際の戦況を把握、分析することをしなかったからだという話があります。 ガダルカナルの反撃において、兵隊は上陸していたけど、重火器や食料を積んだ輸送船が米軍に沈められ、小銃と刀くらいしか武器が無かった。 そんな武器しかないのに、米軍の戦車や機関銃が待ち受けるところに突撃していって全滅した。 これも、「どんな状況にあろうと攻めるのが正しい」という軍の大学の教えに従った結果です。 もし、ノーベル賞を取りたいなら、他人がやらない斬新な研究をやらないと受賞は難しいでしょう。 でも、そんな斬新な研究は、成果が出るまで他人が「評価」できませんから日本の研究機関ではやりにくいといいます。 そして、日本人研究者のレベルがどんどん低下しているようです。
利点とか欠点 云々って何? 意味が通じません。
偏差値が無くなって困るのは、自分がどのレベルにいるか確認できなくなった受験生や子供たち。 正しいかどうかは別にして、学力を図る「物差し」であることは間違いない。 で何故、利点欠点限界盲点を繰り返すのか?