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日本兵による幼児虐殺の疑問
- 日本兵による幼児虐殺がガマで起こった事件について疑問が残ります
- なぜ民間人と軍隊が同じガマを共用していたのか、その制度には何か理由があったのでしょうか
- 国際法では軍隊は民間施設を攻撃してはならないが、同じ壕を共用していた場合はどうなるのか
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日本軍が民間人を守るためです。 当時の指揮官である牛島満大将はいざとなれば軍用の食料を民間人に与える発言をしていることからもそれが伺えます。 当時、日本の無差別爆撃(ホロコースト)や民間船に対する攻撃が行われており、アメリカが戦時国際法を尊重していない事がはっきりしていました。 アメリカに捕まれば、民間人もアメリカ軍によって殺されるか強姦される可能性が高いと考えられていたため、日本軍が民間人を守るために行動を共にしていました。 日本兵による幼児虐殺など作り話です。あの時代、日本将兵は日本が独立国家として存続するために命をかけて戦っていました。誰も生きて戻れないと覚悟していたのです。 そんな状況下の中、日本兵は自分の命を守るために幼児を殺すような事をしているとは到底思えません。 お願いですから、多面的な視野を持って調べてみてください。 必ず理解できると思います。
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- 441moe
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ガマの数が少ないからです。 それだけです。 戦時国際法は敗戦国にだけ適用されます。 戦勝国に適用された例は有りません。 大都市空襲、原爆は裁かれなせん。 1945年以降の再侵略は裁かれません。 1945年に香港マカオに返却されていません。 日本の捕虜は殺害、強制参戦させられています。 朝鮮戦争では海上保安庁が強制参戦させられ、 機雷除去任務してます。 民間軍属契約の形で8千人が参戦しています。 森を見ず、木どころか枝葉見ても分かりません。
- misa-on28
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当時の帝国陸海軍は国民を守るものではなく帝国の国体を守るものでした。もちろん国体の中には国民も入るのですが、優先順位としては天皇の統治権を守る方が高いのです。 国体護持のためには軍の戦闘力の維持が重要ですから民間人と軍の戦闘力を秤にかけると軍のパワーの保持が重いのです。 待避壕があればそれは軍が優先的に使用すべきでありその障害になりうる民間人は処置するのが当然となります。 私の知り合いの老婦人は戦前、サイパンで製糖工場関係者のお嬢様だったとのことでしたが、自分方で作った防空壕を陸軍の兵隊に接収すると言われ、米軍の飛行機が飛んでいる中追い出され、もうダメか、と思ったそうです。 結果、空襲は兵隊の逃げ込んだ壕のあたりに集中し、却って自分たちは助かったそうですが、その時爆撃を食らう壕のあたりを見て「女子供を追い出すような奴は死ね、死んでしまえ」と思ったのだそうです。 まあ、その方はその体験のおかげで崖から飛び降りるような気はなくなり、結果としては助かることになったのですが。 軍に限らず、組織というものは本来の目的以外に組織自体を維持するという目的を持っていますから、本末転倒みたいなことはどの組織にも起こりうるのですが、公認された暴力装置である軍隊が本末転倒になってしまってはたまりませんね。
- bardfish
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そこだけを見れば理不尽に見えるでしょうが、そこに至る経緯(戦況の推移や変化ですね)をみれば必然性も見えてくるはずです。 いきなりそういうことをしたわけではありません。 沖縄上陸戦もいきなり上陸が始まったわけではなく、その前段階として停泊中の戦闘艦の砲撃による地上施設への未攻撃が数週間続いていたと記憶しています。 そのため、沖縄本土にはろくな兵器も残っておらず軍事施設も優先的に破壊され、沖縄という「島」は包囲されておりどこにも逃げる場所がない。軍人も民間人も。 「制度」ではなく自然とそうなったものと思われます。 沖縄の日本軍は米軍の上陸を許した時点で統制が取れなくなっていたものと思われます。 だから自然の洞穴に非難するのが必然でもあるのですが、そこへは民間人だけでなく逃げ場を失いなすすべもなくなった軍人も含まれます。 自然の洞窟なので民間施設とはいえないし、米軍は民間の避難所だとどうやって知ることが出来るのでしょうか? 民間人のなかに軍人がいて、索敵していた米兵が洞窟を覗くと手榴弾による自爆攻撃や銃剣による刺殺攻撃など民間人の保護などまともにできない状況に発展。 そのため、沖縄戦の米軍資料映像で洞窟の外から火炎放射器を使用する映像が有名ですが、そういうことをせざるを得なかった。 米軍としては反撃のおそれがある隠れ家として使えそうなとこをしらみつぶしに探すことをしていたわけですが、避難していた人たちは「敵軍は鬼、捕まったら酷いことをされる」と教育されていましたから息を潜めて厄災が過ぎ去るのをただただ待っていたのです。 その為、赤ん坊や子供の鳴き声は厄災を招く恐れが高かったために出た、恐怖からの衝動的行動だったのかもしれません。 で、そういうことって生き残った人たちの手記やテレビや新聞社などのドキュメンタリーのインタビューなどで語られていたはずです。 そういう映像記録資料って見たことないのでしょうか? インターネット上のそのような文章を否定するつもりはありませんが、テレビの映像だと生き残った人たちの表情や語っている時の抑揚などから言葉以外の情報を感じることができます。 真実はひとつですが、立場が違えば事実は人の数だけあります。 「異なる視点から見た真実」と言えばいいのかな? 真実には観察した人の感情や受け止め方の違いで感じ方が変わったり、伝え方も変わってきます。 だから一方向からの情報だけでは不十分で誤解したまま真実だと受け止めてしまいがちです。 戦争のように社会の流れ、世界の流れの一部のものというのはそうなってしまった原因ははるか以前から始まっていることが多いのです。 だから今回の質問のように民間人と軍人がなぜ同じ壕を使用しているのかという疑問も戦争の推移から考察しないと疑問だらけになってしまいます。 それが「学問」の本質であると私は考えます。
- maiko0333
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戦争は兵士同士の殺し合いであって民間人を巻き込んではなりませんよね。 ただ、日本に関しては「一億総動員」ということで全員が兵士だという宣言を 行いましたから、赤ん坊からお年寄りまですべて攻撃対象になったのです。
お礼
素直に自分の命が大切だったから民間人の郷に入れてもらったで誰も非難しないのに 自分の等身大の姿を受け入れずビッグな軍人だと嘘をついて ガマに入った理由も民間人どもを守ってやるためだと責任を転嫁する 素直になれば沖縄県民も怒りが和らぐとは思わない性根 なんで日本軍が悪の軍団なのかよくわかります